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江波キリスト教会のホームページにようこそ。心から歓迎いたします。
はじめて教会に入る時、不安におぼえることがあるかもしれません。

少しでも心配が減らせるように、よくいただく質問をまとめました。

はじめての方へ

  • 礼拝はどんなことをするのですか?
    【讃美歌】 私たちは「新生讃美歌」を用いて、神様への賛美と感謝を歌にします。 受付に準備していますので、お貸しすることができます。 歌わずに聞くだけでも大丈夫です。 【聖書】 司会者が、その日の礼拝における聖書の箇所を朗読します。 受付に準備していますので、お貸しすることができます。 聖書の言葉を司会者と会衆で交互に朗読する≪交読文≫があります。 交読文は新生讃美歌の後半に付記されています。 【メッセージ】 牧師や信徒が、聖書の言葉を説き明かします。 みことば写真館にて、過去のメッセージを聞くことができます。 【祈り】 祈りは神様とのコミュニケーションです。 礼拝では、祈りの時があります。  ≪主の祈り≫では、イエス・キリストが教えられた祈りを共にささげます。 祈りの言葉は、受付に準備しています。私たちは新共同訳で祈ります。 聞くだけでもかまいません。  ≪礼拝 祈祷≫司会者が会衆を代表してお祈りします。 会衆は手を合わせ目をつむり、祈りの言葉に耳を傾けます。  ≪メッセージ≫の最後に、メッセンジャーがお祈りします。 会衆は祈りの言葉に耳を傾けると共に、ご自身の祈りを神様にささげます。  ≪献金≫では、担当者が会衆を代表してお祈りします。 会衆は手を合わせ目をつむり、共にお祈ります。 【献金】 献金は、神さまから与えられている恵みに感謝してささげるものです。 自由意志に基づいて、強制ではありません。 お気持ちをささげていただくか、ご用意のない場合は、軽く会釈してください。 【主の晩さん式】 毎月第1日曜日は、主の晩さん式を行います。 これは、イエス・キリストが十字架にかけられる前日に弟子たちと食事をした「最後の晩さん」に由来します。 私たちの教会では、信仰を表現する出来事であると考えています。 そのため信仰告白をしたクリスチャンは、パンとぶどうジュースを口にします。 全ての人と共に、この食卓を囲めるように祈り求めます。 これらは「週報」というプログラム用紙に書かれており、司会者が会衆をリードいたします。 また近くに座られる方がサポートすることもできますので、ご安心ください。
  • 車で行っても良いですか?
    はい、教会前に駐車場が10台分あります。
  • 持ち物と服装を教えてください。
    どなたでも、どの集会でもお気兼ねなく普段着のままでお出かけください。 心からお持ちしております。  「せいしょ」と、「さんびか」は教会で用意しています。 ※江波教会では、聖書は新共同訳聖書、讃美歌は新生讃美歌を使用しています。
  • 突然行っても良いですか?
    どうぞ、いらっしゃってください。歓迎します。 もし、来られる際に、他にも聞きたいことがあれば、事前に教会に電話やメールをしてくださっても結構です。 気軽に尋ねてください。 ​
  • 「祈祷会」とはどんな会ですか?
    水曜日10時30分から、祈祷会をしています。 参加者で聖書を読んで、感想を分かち合い、共にお祈りをします。 お祈りは、神様との対話として、キリスト教で大切にしていることのひとつです。
  • 献金について教えてください。
    献金は、神さまから与えられている恵みに感謝してささげるものです。 自由意志に基づいて、強制ではありません。 お気持ちをささげていただくか、ご用意のない場合は、軽く会釈してください。
  • 勧誘されますか?
    当教会では初めての方に、お名前や連絡先の記入をお願いしております。 感染症の対策の面でもご協力いただいていますが、強制ではありません。 ご記入頂いた場合でも勧誘の郵便物を送ったり、電話をかけたりするようなことは致しません。 (希望される方には、イベントや集会のお知らせをいたします) キリスト教の信者になるということは、神様とあなたとが信頼関係で結ばれることです。 他者が、信仰を強要することはできません。
  • 「思い煩いは、何もかも神におまかせしなさい」  ショートメッセージ
     私たちはこの言葉におどろきます。学校でも会社でも家庭でも、生活する上で心配事はたくさんあります。特に、現代はストレスの多い社会です。子どもも大人もきびしい時代を生きています。 いつからか私たちは、悩みや不安をだれかに話すことが出来なくなりました。まるで弱点を見せるようで、助けを求められない。社会もまた、自分で自分を守るように、自分の責任は自分で果たすようにと語りました。その結果、自分のことだけを気に掛けて、自分さえよければと、自分勝手に生きるようになったのではないでしょうか。 私たちは再び、自分ひとりで生きることから、共に生きる道へと方向転換していきませんか。今さらどうやって、と思うかもしれません。しかし、今も、あなたを心配している方がいます。 『心配』とは心を配ると書きます。聖書は上記に続けて、「神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです」と語ります。神様が、私たちの悩みや苦しみを知り、心配し、共に生きてくれる。だから、私たちは思い煩いを手放して良い。不安を神様に委ねて良い。イエス・キリストは私を、あなたを、一人一人を救うために来られました。 教会は不完全ながらもイエス・キリストにならう群れです。私たちの悩みを、神様は引き受けてくださいます。だから私たちも、痛みや、悲しみや、喜びや、希望を共に分かち合い生きるようにと招かれているのです。聖書は、私たちを立ち上がらせる言葉で満ちています。よろしければぜひ、おいでください。心よりお待ちしています。
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