- 杉本拓哉牧師
- 4 日前
- 読了時間: 2分
ローマの信徒への手紙11章1-16節
彼らの罪によって異邦人に救いがもたらされる結果になりましたが、それは、彼らにねたみを起こさせるためだったのです。

人生は、思い通りにいかないことの連続です。努力が報われなかったり、大切な人との別れを経験したり、事故や病気で心も体も傷つくことがあります。人と比べる中で悲しみが増して、どうしようもなく怒りや妬みが湧いてくることもあるでしょう。「どうして自分が…」と、思わずにはいられない時、それは神に向かって問いかけている時なのかもしれません。
神はイスラエルの民を選び、エジプトの奴隷生活から、バビロニヤ帝国の捕囚から救い出しました。しかし、民はイエスを拒絶して十字架につけ、弟子たちをも迫害していったのです。結果的に、逃げていく先々でも福音は広がり、ついには異邦人のもとに救いの言葉が届けられました。パウロは目の前の現実に絶望するのではなく、その向こうにある神のご計画に心を向けます。そして人間的な妬みさえも用いられ、イスラエルの人々に逆輸入の形で、福音が分かち合われる日を期待します。
つまずくことや失敗することを望む人はいません。それでも倒れ込んでしまいそうな時もあるでしょう。そんな時、あなたの名前を呼び、手を伸ばして起き上がらせてくださる神に出会います。あなたの傷やつまずきさえも用いて、十字架のイエスは今日も私たちを招いておられるのです。
音声メッセージ
ローマの信徒への手紙10章1-21節
「その声は全地に響き渡り、その言葉は世界の果てにまで及ぶ」のです。

「ありがとう」や「ごめんね」といった言葉は、思っているだけではなく、口に出してこそ相手に気持ちが伝わります。思いを表すことには勇気が必要ですが、その一歩が人との関係を変えるきっかけになることもあるでしょう。大切な言葉を交わすことは、相手との絆を深めるだけでなく、自分自身の心にも確かな響きをもたらします。信仰もまた、心の中に留めておくだけでなく、口に出して言い表すことが大切です。
私たちの信仰の言葉を、神様は耳を澄ませて聞いておられます。その言葉は自分自身を整えるだけでなく、隣人までも力づけることがあるのです。信仰の言葉は、共鳴し合うように広がります。2000年前、イエス・キリストの御業が、大きな鐘の音のように世界に響き渡りました。そして今も、その響きは止むことなく続いています。弟子たちや初代教会の人々が「イエスは主です」と告白したその声は、時代を越えて、国境を越えて、私たちの所にまで届いています。そして今、私たちが信仰を言い表す時、その響きはさらに前後左右に伝わっていきます。たとえその声が小さくても、震えていても、神様は喜んで受け取ってくださいます。主が用いられる時、あなたの信仰の言葉は、誰かの心に希望を届ける響きとなって広がっていくのです。
音声メッセージ
ローマの信徒への手紙9章14-29節
従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。

私たちは日々、何かを選択して生きています。どの服を着るのか、何を食べるか、誰と一緒に過ごすか。時には人々から選ばれることもあるかもしれません。受験や就職では試験によって選び出されます。通過した先にも困難はありますが、期待されている証拠でもあるでしょう。
神様もまた人を選ばれます。当事者にとって不公平とも思えるような選びかもしれません。しかし私たちの思いを超えた、憐み深い神の計画があるのです。旧約聖書には、神がイスラエルの民を選ばれた歴史が記されています。イスラエルの民は、力強く知恵に満ちて信仰的に立派だったから選ばれたのではありませんでした。むしろ他の民族よりも貧弱だったにも関わらず、一方的な神の愛によって選ばれたのです。弱さを知るからこそ主を頼り、神の栄光が現される器として用いられていくのでしょう。
教会もまた、神の愛にふさわしい者だから選ばれるのではありません。救いは、自分自身の努力や功績によって与えられるものではないのです。ただただ主の愛と憐みによって、救いにあずからせていただきます。そしてこの恵みを自分だけのものとするのではなく、世界中の人々と分かち合うようにと、使命が託されているのです。
音声メッセージ