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士師記 2章8-23節
主は彼らのために士師たちを立て、士師と共にいて、その士師の存命中敵の手から救ってくださったが、それは圧迫し迫害する者を前にしてうめく彼らを、主が哀れに思われたからである。


 私たちが、安心して生きるために必要なものは何ですか。何を頼りにして生きているでしょう。健康・お金・仕事・住宅・人間関係・評価、もちろんこれらは大切です。しかし、神よりも頼りになるものでしょうか。それでも人は不安に陥ると、目に見えて結果が出るものに心奪われてしまいます。

 イスラエルの人々は、降雨と豊作を求めて偶像崇拝するようになりました。偶像のご利益を求めて、主なる神から離れ、従い歩む道を捨てたのです。それでも神は人々を見離されません。何度失敗しても、名前を呼び、立ち帰る道を備えられました。民のうめきに耳を傾け、士師というリーダーを遣わし、苦難から救い出されます。それぞれ弱さを抱えたリーダーでしたが、主は彼ら彼女らを通して、ご自身の愛と憐れみを現されました。私たちが神を捨てても、神は私たちを見捨てません。この主の愛が、イエス・キリストにおいて決定的に示されます。驚くべき喜びの知らせは、この地上に届けられたのです。特に疲れを覚えている人、迷いの中にいる人、生きづらさを抱えている人に、神の愛の手紙が届けられますように。主は今日も、あなたの名前を呼んでおられます。あなたを招くその声に、耳と心を澄ませてみませんか。


音声メッセージ


マタイによる福音書 18章15-20節
あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。


ポインセチア
ポインセチア

 人と人とが共に生きていれば、思いがぶつかり、心がすれ違い、関係がぎくしゃくしてしまうこともあります。分かってほしかった言葉が届かず、守りたかった関係を傷つけてしまうこともあるでしょう。家族や友人であっても、価値観の違いや誤解によって、距離が生まれ、孤独を抱えることがあります。

 教会は清廉潔白な人だけが集まる場所ではありません。むしろ、神様の赦しを必要とする者たちの集いです。聖書が「罪」と呼ぶものは、神と人を、人と人を引き離していく力です。私たちは問題を一人で抱え込み、解決どころか行き詰まってしまうこともよくあります。

 イエス・キリストは、壊れかけた関係に希望を灯し、孤独の只中に入って寄り添ってくださるお方です。プライドが邪魔して謝れなかった言葉も、赦せない心も、和解への小さなプロセスも、主は共に担ってくださいます。そして自分では祈れないという時、共に祈り、執り成してくれる存在がどれほど助けになるでしょうか。誰かと共に祈ることは、弱さや欠けを責めるのではなく、神の前で共に生きる交わりです。罪は私たちを引き離そうとしますが、神の愛はそれでも私たちを結び直し、繋ぎ合わせてくださいます。この祈りの交わりへ、あなたも招かれているのです。


音声メッセージ


フィリピの信徒への手紙 2章1-11節
キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。



 私たちは誰もが、できることなら争わず、分かり合って生きたいと願っています。それでも多くの場面ですれ違い、分かり合えないもどかしさを抱えているのではないでしょうか。国家間でも、学校でも、家庭でも、私たちの正義はぶつかってしまいます。そして心の奥底で、小さなトゲやしこりが残るのです。ではどうすれば、心を合わせることができるのでしょう。相手を言い負かすのでもなく、自分の思いを飲み込むのでもなく、一致する道はあるのでしょうか。

 聖書は、イエス・キリストにある一致を語ります。神の子イエスは、高いところから命令するのではなく、むしろ自ら低くなりました。言葉で世界を創られた方が、愛されなくては生きることのできない赤子として、この世界に来られたのです。神と人とを隔てる罪の問題を解決するため、相手の立場に身を置き、人と共に生きられました。主にある一致は、力づくで誰かをねじ伏せて従わせる事ではなく、へりくだって共に生きる愛にあらわされます。へりくだりとは、自分の思いを押し殺すことではなく、愛ゆえに共に生きる道を選び取ることです。まず、キリストが私たちのもとに降りて来られたことで、一致の道は拓かれました。主の愛は、今も私たち一人ひとりを新しい関係へと招いているのです。


音声メッセージ

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