- 杉本拓哉牧師
- 20 時間前
- 読了時間: 2分
コヘレトの言葉 1章1-11節
空の空/空の空、一切は空である。

毎日忙しく過ごす中で、同じことの繰り返しのように感じることがあります。息つく間もなく働き、懸命に生きても、気付けば季節が過ぎ、年月が流れていきます。そんな日々の中で、ふと立ち止まり、何のために生きているのかと、空しさを覚えることもあるかもしれません。
聖書は、私たちが目を背けたくなる心の奥底までも、真実に語りかけます。王ほどの知恵や富や権力を持っていたとしても、思いつく限りの欲求を叶えたとしても、心は満たされないのです。哲学者パスカルは、「人間の心の中には、神によってしか埋められない空間がある」と語ります。空しさを覚える時、それは神に向き合うきっかけともなるのです。
百年後、家族や教会のアルバムを開くなら、私たちはほんの数枚の写真に残るだけです。人の記憶は薄れますが、神はどんなに短い人生だったとしても、永遠に覚えていてくださいます。束の間の人生をどのように用いるか、神はあなたを選び、託されました。神は使命を与え、人生に意味を見出させ、心の空白を愛で満たしてくださいます。永遠の神を見上げる時、過ぎ去っていった日々にも光が差し込むことでしょう。空しさの向こう側で、神と共に生きる希望の物語は静かに始まっていくのです。
音声メッセージ
- 杉本拓哉牧師
- 10月5日
- 読了時間: 2分
ヨシュア記 24章1-24節
ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。

私たちは毎日、何かを選びながら生きています。服装や食事のような身近な選択もあれば、進学や就職など特別な決断もあります。選択の積み重ねが人生を形作ります。大切なのは、何を基準に選び取るのか、自分の心を整理しておくことです。もしも、他の人や環境のせいにしてばかりなら成長はありません。しかし、自らの歩みを振り返り、恵みを数えて失敗からも学ぶのであれば、次の一歩に繋がることでしょう。
宗教においても、一つを選ぶ決心は重要です。聖書の時代、イスラエルの民も「どの神を信頼して生きるのか」向き合わされました。ヨシュアは人々の前で宣言します。「私と私の家は主に仕える」と。自分の欲望を満たすための神々ではなく、愛と真実をもって共に歩んでくださる神を選び取ったのです。自由な選び取りと、信仰による決断は、今の私たちにも求められていることでしょう。大きな力で脅し、一方的に条件を押し付けるならば、良き関係性は育まれません。過去を振り返り、主の恵みと憐みを見出す中で、新しい一歩を踏み出す勇気と希望が湧いてくるのではないでしょうか。私たちもまた宣教開始68年の歴史を振り返り、「私たちの教会は主に仕えます」と、心と声を合わせて告白しようではありませんか。
音声メッセージ
- 杉本拓哉牧師
- 9月28日
- 読了時間: 2分
ヨシュア記 20章1-9節
そこは、血の復讐をする者からの逃れの場所になる。

私たちには、心と体を休めることができる安全な場所が必要です。災害時に避難所があるように、仕事や人間関係の中でしんどさを覚える時にもシェルターが必要です。旧約聖書の時代、神さまはイスラエルの人々に「逃れの町」を備えられました。過ちによって人を傷つけた者が、復讐する者から守られて、新しく生きるための場所です。そこは恐れと憎しみの連鎖から断ち切られるために、神が与えられた安心できる居場所でした。
現代に生きる私たちにとって、逃れの町はどこにあるのでしょう。聖書はイエス・キリストこそが、安全な居場所であることを伝えています。逃れの町はイスラエルの民だけでなく、旅人や寄留者までも含む、全ての人々のために開かれていました。同じようにキリストは、全ての人のために十字架にかかり、贖いの大祭司となられたのです。それは、多くの罪の赦しのため、神との和解をもたらすためです。誰もが少なからず、怒りや憎しみ、悲しみや恐れを抱いています。そして思いがけずふとした拍子で、誰かを傷つけてしまう弱さを持っています。だからこそイエスのもとに逃げ込み、負の連鎖を断ち切って、安心して新しい命の関係を築くようにと招かれているのです。
音声メッセージ