top of page
マタイによる福音書20:1-16


花材/フトイ・南天・アマリリス
花材/フトイ・南天・アマリリス

これを、愛と憐れみに満ちた神の姿に思えますか。それとも、労働への対価として不公平な神様だと感じるでしょうか。人間の目で見れば、一時間働いた者と一日働いた者が同じ賃金なのは不公平で、経営者として愚かに見えるかもしれません。しかし、神様の思いはそこにありません。最後まで残されていた者にまで目を向け、今日を生きられるようにしたい、その一人の命を大切にしたいという、理屈を超えた熱情が込められています。報酬ではなく、神の「恵み(恩寵)」の物語なのです。

信仰とは、自分を「朝から働いた功労者」ではなく、誰にも顧みられなかった「最後の一人」であると自覚することから始まります。そして、「この私も見捨てられなかった」という驚きと感謝に生かされるとき、私たちは他者を裁く者から恵みを分かち合う者へと変えられていきます。  


広島教会 播磨聡牧師


音声メッセージ

使徒言行録2章22‐24節


花材/タマシダ・コスモス・やまぼうし
花材/タマシダ・コスモス・やまぼうし

 ペンテコステで弟子たち一人一人の上に、降りた聖霊は、悪霊でも幽霊でもなく、神の霊であり、十字架にかかってまで罪人を愛し抜かれたイエス様の霊そのものです。聖霊を受けた弟子たちは、大胆に「イエスこそ救い主、主である」と延べ伝えるものへと変えられていきました。


 ペンテコステの出来事において、私たちが何よりも目を留めなければならないことは、「動作の主体、主語が『神』である」ということです。十字架、復活、召天、そして聖霊の降誕に至るまで、すべて神の一方的な主権によってのみ実現されるのです。


 神の主権の中で、裏切り者の弟子たちに聖霊を注がれました。神は、敢えて、自分の罪を見つめなければならない者を選んでいきます。ペトロは、裏切り者の自分をさえ、イエス様は執り成して祈ってくださり、赦し、聖霊を注いでくださることがどれほど圧倒的な恵みであるかを知っていたのです。


 私たちが生涯立ち続けるべき原点、それは「私は罪人であるが、イエス様の一方的な愛と憐れみによって赦され、生かされている」という事実にこそあります。自分の正しさや優位性を誇ることを辞め、ただキリストの十字架の赦しにすがるとき、私たちは初めて他者を本当に愛し、赦し、力づける者へと変えられていきます。                


広島教会 播磨聡牧師


音声メッセージ

マタイによる福音書19章13-15


ジャーマンアイリス
ジャーマンアイリス

 社会では、「あなたは大切だ」と肯定されるより、「あなたの代わりはどこにでも居る」と評価されやすい厳しい世界です。その中で私たちは、何が本当に大切なのか見失いがちです。


 イエス様に触れていただくために子供を連れてきた人々を、弟子たちは叱りつけます。しかしイエス様は、「子供たちを来させなさい」と言われ、彼らを祝福しました。イエス様を大切に思うが故に煩わせまいとした弟子たちの気持ちは私達にもよくわかります。しかし、その弟子たちに共感を覚える私達にも、イエス様はそれは違うと言われます。何が大事で、何が大事でないのか、見分けられていない、そう憤られていると思ったほうがいいでしょう。


 子供とは、自分一人では生きられず、誰かに支えられなければならない存在です。弟子たちが子供たちを遠ざけたのは、そのような存在のために時間を割くべきではないという「効率」や「排除」の理論によるものでした。現代社会もまた、強く有能で自立した人間を理想とし、依存することを恥とします。その理論は私たち自身の内側にも深く根を張っています。しかし天の国とは、強いもの、有能な者、自立した者が入る国ではありません。徹底して神に依存し、神に信頼する者のものなのです。弱さこそが、神の国の扉を開く鍵です。


広島教会 播磨聡牧師


音声メッセージ

江波キリスト教会 〒730-0834 広島県広島市中区江波二本松1丁目10−26 TEL:(082)231-4561

©2021 by 江波キリスト教会。Wix.com で作成されました。

bottom of page