「何故、義しい者が苦しむのか」
ヨブ記1章8節-21節
日本バプテスト広島基督教会牧師
播磨 聡 先生
1,東日本大震災
今日は、ようこそ江波教会にお越し下さいました。初めて教会に来られた方もおられるかも知れません。高い敷居を越えて、よくお越し下さいました。どうぞ、緊張されている肩の荷を下ろして安心してしばらく神さまを近くに覚える時をもって参りましょう。
今日の特別礼拝を捧げるに際して、どうしても東日本大震災の地震・津波被災者・犠牲者の方々、ならびに福島第一原子力発電所の事故で事態を悪化させないために労している方々、また避難している方々に、心と思いを寄せたいと願いながら、この場に立っています。
地震・津波で被災し、犠牲となった方々、そして、津波・原発事故などにより避難生活をしている方々がいます。津波がこれほど恐ろしいものだと正直、私自身理解していませんでした。原発事故が起こるとこれほどまでの事態になるという事も想像していませんでした。
今、多くの人々が、これまで大丈夫だ、安全だ、と思っていたものが、ガタガタと音を立てて崩れ、不安と恐れを抱きながら過ごしている事と思います。そして、テレビで紹介される範囲でその方々の言葉を聞くに及び、胸が押しつぶされる思いがします。津波で両親を失った少女の叫び、わが子を捜す悲痛な呼び声、父親・母親、妻、子の手を繋いで津波から逃げようとしている最中に津波に呑み込まれ、「手を離してしまった」と自分を責めている人々の姿に、言葉を失ってしまいます。
4月3日に広島教会の皆さまの祈りに送り出されて、私は、宮城県の被災地に出かけてきました。既に大震災から三週間が経っていましたが、その傷跡は生々しく、地震によって倒壊した家屋、赤紙が貼られて立ち入り禁止になっている家屋が、津波被害を受けていない仙台市内にも数多くありました。
仙台市内は、数日前にガソリンがようやく行き渡るようになり、日常生活が少しずつ戻ってきているところでした。
私は、連盟がボランティアを派遣して炊き出しをおこなうために、津波被災者の方々と関係を作るという仕事となりました。
石巻市にある牡鹿半島方面は、まだ支援の手が伸びていない取り残された集落があるということで、牡鹿半島の漁村を訪ね、炊き出しのボランティアの話が成立し、早速、炊きだしがおこなわれることになりました。
食料が無いための炊き出しではなく、避難所や民泊で、疲れ切ったお母さんたちを励まし、長引く避難所生活を助けるための取り組みです。
というのも、電気もガスも機材もない中、この一ヶ月間、山水を引いて、洗濯物を手で洗い、炊飯や煮炊きは、ブロックを重ねたかまどで薪でたきつけておこなっていました。80人分のご飯を炊くだけでもたいへんな作業で、火を付けた鍋の側から離れることができません。炭で黒くなった鍋を毎回洗わなければなりません。
一日三度の食事を二度に減らし、最近では一食にした日もあったそうです。目の前には津波被災によって、家の土台と瓦礫が広大な広さで広がっています。
宗教者としてショックを受けたのは、教会関係者のAさんの自宅を訪ねた時です。Aさんの家は、津波で根回り7mの巨木が500m先から流れてきてAさんの自宅に突き刺さり、全壊しています。
Aさんの家の裏手には墓地があり、Aさんの家のお墓もそこにあります。津波で呑み込まれたお墓は、墓石を倒すだけではなく、墓石の下にある遺骨もすべて巻き上げ失われてしまっていました。
「むごいよね。遺骨も全部、津波が巻き上げてしまった」という言葉には、大事にしていた先祖や家族の絆が引き裂かれていくものとして心に重たく響きました。Aさんは親戚の三家族が未だ行方不明のままです。言葉を失いながらも、傷つき引き裂かれた人々の苦しみに伴う教会の関わりが起こされていることに希望を祈る時となりました。
震災から二ヶ月が過ぎましたが、あまりの被害の大きさ、広範囲な被災地に、また原発の事故と放射能に怯えて暮らす人々の不安と引き裂かれる状況は、生々しいものとなっています。
この震災は、被災者だけではなく、国家レベルで、いや、世界レベルで、人間とは何者なのか、命がこんなに儚いものなのか、生きる事の意味はどこにあるのか、人間の魂の深いところからの叫びによって、私たちの命や生活を見つめる視点を大きく変えるものになることでしょう。その時に、苦しむ者と共に苦しみ、苦難の中で希望を指し示す、キリスト者の証の姿が必要とされている時です。今も、悲しみと苦しみの中で、一歩立ち上がろうとする人々に寄り添いたいと願っています。
2,理不尽な苦しみ
「なぜ神がおられるのに、このような理不尽な苦しみがあるのか」。
「神の義しさはどこにあるのか」。
これほどの惨状を目の当たりにすると、神への呻きがあがります。苦しみの理由があるならば、たとえそれが自分が悪かったとするならば、そう言ってもらっても良いから、その理由を知りたい。
いったい何故なのですか。
理由の分からない苦しみに喘ぐこと、それは、被災者だけではありません。
私たちの人生の中でも、何度もそのような思いを持つ事があります。人間は、愛されたい、認められたい、受け入れられたいという欲求があります。その欲求が、人間を突き動かすとも言えるでしょう。
愛されたいが故に、相手に贈り物をしたり、相手の喜ぶことをしたり、認められたいが故に、一生懸命勉強をしたり、仕事をしたり、受け入れられたいが故に、相手のわがままを聞いたり。
それでも、その思いが伝わらないことはしばしばです。何故だか分からないけれども、優しくしてきた相手に、利用されたり、軽んじられたり、支配されたり、こちらの愛する思いが相手に伝わらないことで苦しむことがあります。生きるというのは辛いことが多いですね。そのような中で、生きる気力を失ったり、生きる意味や、自分自身の存在意義を見失う時もあります。
義しい者、という範疇には入らないかも知れないけれども、どうして、このような苦しみがあるのか、愛が伝わらない苦しみがあるのか。生きる中で、誰しもが抱える苦悩です。そして、現代は、そのような苦しみを抱えた時に、誰かに助けを求める関係が失われている時代でもあります。
誰も、自分の気持ちを理解してくれない、自分を必要としていない、自分を受けとめてくれないと、孤独に苛まれること、自分を責める事、相手を攻撃する事、そんな自分になってしまうこともあります。そんなになりたくないのに、自分にとって嫌な自分になってしまうのです。だれかが、この苦しみから、誰かが、この呻きから助け出して欲しい、助けを求めて飢え渇く思いを持ちます。
3,ヨブの苦しみ
旧約聖書の中に、理不尽な苦しみに呻いた、義人、正しい人ヨブの物語があります。
ヨブは無垢な正しい人。神を畏れ、悪を避けて生きていた人です。7人の息子と3人の娘を持ち、羊7千匹、らくだ3千頭、牛5百くびき、そして使用人も多く持っていました。東の国一番の富豪でありました。
家族円満で、息子娘たちはそれぞれの家に順番に集まり、宴会を催すような仲の良い家族でありました。ヨブは、神を畏れる者であり、子どもたちの数に相当する犠牲の捧げものを神に捧げ、罪の贖いの礼拝を持ち続ける人でもありました。
ところが、サタンが神に言います。「ヨブは利益もないのに神を敬うでしょうか」。
ヨブはこれだけの財産を持ち、家族を祝福しているから、神を敬うのであって、不幸が襲ったら、神を呪う者になると、サタンは言うのです。神は、サタンにヨブを任せます。そして、ヨブのもとに不幸の知らせが次々とやってくるのです。最初は、財産である牛やろばが略奪されたという知らせです。
使用人たちは殺され、わたしひとりだけ逃げのびてきました。
次に、羊、やぎも天災にあって失った。
そして、子どもたち10人がそろっていたところで大風に家が倒され、その下敷きになって、子どもたちは皆死んでしまったという知らせでありました。
ヨブを何重もの苦難が襲うのです。
その時、ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言います。
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」。 裸で生まれてきたように、裸で神のもとに帰ろう。神は与えると同時に、取り給うお方。ただ、私は主の御名をほめたたえる。多くの苦難に遭いながら、ヨブは、神こそが全ての支配者であり、人間はその手の中にある者に過ぎないとその信仰を告白するのです。
人間の命の根底を支える神への告白がここに表されています。見事なまでの確信に満ちた言葉です。
しかし、さらにサタンは神に言います。自分の肉体に害が及ばないから、ヨブは神を敬い続けるのだ、彼の肉体に害を与えると、彼は、神を呪うでしょうと。
サタンの手は、ヨブの身体に伸ばされ、頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病にかかります。ヨブは灰の中に座り、素焼きのかけらで体中をかきむしらないとならないほど、苦しむのです。
ヨブの妻は言います。
「どこまで無垢でいるのですか。神を呪って死ぬ方がましでしょう」。
しかし、ヨブは、「私たちは神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」と妻をたしなめるのです。
ヨブの妻がそう言いたくなるほど、ヨブの身に及んだ苦しみは、筆舌に表せないものだったのでしょう。ヨブの親しい友人三人がやってきます。
彼らは、この災難の中にあるヨブを見舞い慰めようとやってきました。
しかし、遠くからヨブを見ると、元気な頃のヨブとは見分けられないほどの姿になっていたので、嘆きの声をあげ、衣を裂き、灰をかぶって、ヨブと共に七日七晩地面に座って言葉を交わすことさえ出来なかったほどでした。ヨブの激しい苦痛を見ると、話しかけることもできなかったのです。
ヨブは、ここに至ってもなお、罪を犯すことは無かったと聖書は記します。しかし、同時に、3章以下では、見舞いに来てくれた友人たちとヨブの議論が始まります。
3章の冒頭では、ヨブは自分が生まれた日を、自分が生まれたことを呪ったと書かれています。
ヨブは力強く、神への信頼の言葉を語ったのですが、それでも、その苦悩は、悲しみの持っていき所は、自分を責める形で始まります。
3章3節「私の生まれた日は消え失せよ。男の子を身ごもったことを告げた夜も」。
11節「なぜ、わたしは母の胎にいるうちに死んでしまわなかったのか。せめて、生まれてすぐに息絶えなかったか」と、生まれてきたことを嘆き、生まれてこなかった方が良かったとさえ言うのです。
同時にここのことは、神への呻きとなって展開するのです。
ヨブの友人たちは、ヨブの言葉を聞きながら、押さえきれずに語り始めます。彼らの主張は正論です。人間は誰しも罪を持っている。ヨブよ、自分の罪を認めよ、もしかすると、あなたは不正な方法で財産を築いたのではないか、神は罪の無い人を滅ぼすことなどしない。
4章7節「考えてみなさい。罪のない人が滅ぼされ、正しい人が立たれたことがあるかどうか」。
友人たちは、苦難にはそれ相応の理由がある。神は不正な方ではない。そして、人間は自分が罪人ではないと主張できる正しさを持ち合わせていない。そのことを認めよと、彼らは語るのです。
ヨブは彼らが繰り返し、それでは納得できない。そんな一般論を聞いても、因果応報の考えを聞かされても、なぜ、神が義人に、正しい人にこれほどの苦しみを与えるのか、もし理由があるというなら、その理由を聞かせて欲しい。6章24節「間違っているなら分からせてくれ、教えてくれれば口を閉ざそう」。
「神よ、なぜなのですか」、この苦難を何故と言うのですか。ヨブの絶叫するまでの叫びが上げられています。
ヨブは神に敵と見なされたと嘆きます。
9章16節「わたしがよびかけても返事をなさるまい。私の声に耳を傾けてくださるとは思えない。神は髪の毛一筋ほどのことでわたしを傷つけ、理由もなく私に傷を加えられる。息つく暇も与えず、苦しみに苦しみを加えられる。力に訴えても、見よ、神は強い。正義に訴えても証人となってくれるものはいない。わたしが正しいと主張しているのに、口をもって背いたことにされる。無垢なのに、曲がった者とされる」。
10章18節「わたしなど、誰の目にも止まらぬうちに死んでしまえばよかったものを。あたかも存在しなかったかのように。母の胎から墓へと運ばれていれば良かったのに。
友人たちの慰め、励まし、ヨブの罪の指摘、これらはヨブの心に届きません。友人たちの言葉を聞いたヨブは言います。「そんなことはみな、わたしもこの目で見、この耳で聞いて、よく分かっている。あなたたちの知っていることぐらいは、私も知っている。あなたたちに劣ってはいない。私が話しかけたいのは全能者なのだ。私は神に向かって申し立てたい」。
ヨブの呻き、叫びは、どのような好意ある、親しい者の言葉さえ受けとめることが出来ないほどの嘆きとなっているのです。苦難のどん底に落とされた者にとって、親しい友人の同情に満ちた優しい言葉でも、ヨブの心には響かないのです。ヨブは、神が分からない。神が何を考えているのか分からない。神を呼んでも応えてくれない。神との関係が絶たれたことそのことに呻いているのです。
その時、神は嵐の中からヨブに答えます。
沈黙を守っていた神が、神ご自身がヨブに語りかけるのです。そしてその言葉は、ヨブへの叱責でした。38章2節「これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて、神の経綸を暗くするとは。男らしく腰に帯をせよ。わたしはお前に尋ねる。私に答えてみよ。わたしが大地を据えた時、お前はどこにいたのか。
知っていたというなら理解している事を言ってみよ」。神は厳しい言葉でヨブを叱りつけます。
神に自分の正義を訴えるなど、お前は何者か、お前は人間に過ぎない者ではないかと。
40章2節「全能者と言い争う者よ、引き下がるのか。神を責め立てる者よ、答えるが良い」。
神は、サタンとの会話など棚に上げて、ヨブを責め立てます。神の義を神は語ります。その内容は、友人たちの言葉と相通じるものです。
ところが、ヨブは、40章4節で神の叱責を受けて、こう答えるのです。「わたしは軽々しくものを申しました。どうしてあなたに反論などできましょう。わたしはこの口に手を置きます。ひと言語りましたが、もう主張しません。ふた言申しましたが、もう繰り返しません」。42章2節「あなたは全能であり、御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。
『これは何者か。知識もないのに、神の経綸を隠そうとするとは。』
そのとおりです。わたしには理解できず、私の知識を超えた驚くべき御業をあげつらっておりました。『聞け、私が話す。お前に尋ねる、私に答えてみよ』。あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。それ故、わたしは塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます」。
ヨブは、神の叱責を受けて、驚くまでに今までの、「神はなぜ、正しい者に、理不尽な苦しみを与えるのか」という神の義しさへの問い、自分は正しく生きてきたという主張を覆し、あっけなくも神の前にひれ伏すのです。
神の言葉がヨブに臨んだ途端に、ヨブは、自分の主張をひっくり返していきました。神の言葉の中に、何らヨブが問いとして抱いた「神はなぜ、正しい者に、理不尽な苦しみを与えるのか」という答えはありません。ヨブは神の考えを聞いて、理解して、納得して、ひれ伏した、悔い改めたのではないのです。それでも、ヨブにとって、ヨブが求めていたことの全がここにあるのです。
そう、ヨブは、神が分からなくなった。ヨブは神を見失った。ただ、ヨブは、神の言葉、それが叱責される言葉であったとしても、彼が求めたのは、失われていた神との関係を回復したいという、この一点だったのです。ヨブは義人の理不尽な苦しみの意味、苦難の意味を求めました。しかし、その苦難の意味は、神の領域のことです。ヨブには最後までその答えは与えられません。それでも、ヨブが求めていた全ての事がここに与えられるのです。それは、神が分からなくなっていたヨブに語りかける神の言葉、神との関係が回復されること、それがヨブが求めていた全てなのです。
「主は与え、主は取り給う」、そう全てのことは、主なる神にかかっているのです。ヨブの告白は間違っていません。
しかし、何重苦にも苦しむヨブにとって「主は与え、主は取り給う」という告白、全ては主なる神にかかっている」、この告白が事実となるためには、叱責されることであってなお、神との関係の回復においてなのです。
かつて、ハンセン病療養所の教会と交流を持ったことがありました。その教会の礼拝堂の正面には、
大きなそして太い筆でかかれた力強くもかすれと乱れをもって書かれた聖句が掲げられていたことを印象深く覚えています。
「主は与え、主は取り給う。主の御名はほむべきかな」。
何重もの苦しみに呻く人々が、ただ一点、主なる神との関係にのみ生きる姿がそこに告白されていました。苦難の意味、理不尽な苦しみ、その理由は説明したり、納得できるものではありません。しかしそのどん底と思える状況の中で、私たちを支えるのは、主なる神が私に語りかけて下さるという、主なる神との関係の回復、そこにこそ、そこで生きる根拠となっていくのです。
苦しむ事、死ぬ事、生きる事の根底に神を置く。それは、今、理不尽な苦しみに遭っているそのおひとりお一人に、神が語りかけて下さるという神との関係が作られることにおいて与えられる希望を、その思いに至る道程、呻き苦しみに満ちた道程に、私たちは身を寄せていきましょう。
「主は与え、主は取り給う。主の御名はほむべきかな」
4,外から来る希望
鹿児島教会に、髙山真理さんという27歳の女性がいました。
たいへん優秀な方で、千葉大学医学部を卒業された女医さんでした。ところが、医学部を卒業して一ヶ月後重い病気にかかり、鹿児島の実家で静養することになり、幼稚園の頃に通った教会に再び来るようになりました。
数ヶ月したある日曜の夜、髙山さんから「ちょっとお訪ねして良いですか?」と電話があり、牧師館を訪ねて来られました。
牧師館にはいった途端、髙山さんは、ワッと泣き崩れ、涙が溢れて、涙が溢れて何も語れない状態になってしまいました。しばらくして、話しが出来る状況になると、自分が大病を患ったこと、そして再発が分かったこと、この病気の再発は非常に危ないものであることを途切れ途切れに話し始め、来週から鹿児島大学病院に入ることになったことを語られました。
入院後、髙山さんは強い抗ガン剤治療を受け、髪の毛を失い、抵抗力が弱くなっていきました。入院中、髙山さんから私は心に残る言葉をもらいました。
「先生、私、以前だったら、小さな子どもが騒いでいると、うるさいと思っていました。でも、この病気をして、命を見つめるようになってから、小さな子どもが騒いでいたり、親ばかだと以前では思っていた親子の姿が愛おしくなってきました。先生、人が優しくなるためには、こんなにも大きな代償を払わないといけないのですね」。
重たい言葉でした。命を見つめて生きる人の側にいる者は、自分の命まで際立たされ、自分の命も見透かされているような、吹き飛ばされるようにさえ感じます。
あの日曜の晩から一年後、髙山真理さんはバプテスマを受けました。
病気が骨・肝臓などに転移した時でした。
本人は、「牧師先生、いつもありがとうございます。わたし、入院中いつか先生に洗礼をすすめられるのでは、と半ばびくびくしていました。が、先生は一度も私に洗礼を勧められませんでした。それは私にとってはとてもありがたいことでした。「神さまを信じるならば、健康な時に、病気の治癒を願ってまるで取り引きするような状況でバプテスマを受けたくなかった」そうです。
私としては、何度も洗礼を勧めようとしたのですが、無菌室の中で苦しむ姿を見る度に、喉まで出るのですが、言えませんでした。
バプテスマを受けて、彼女はこんな手紙を送ってくれました。「洗礼を受けて、一週間あまり、洗礼を受けて良かった、と感じています。洗礼を受けて、何か変わったことは無いのですが、先生のおっしゃるように、何かが少しずつ変わってきています。何なのかは分かりませんが、どこか晴れ晴れした気持ちです」
洗礼をうけた後、東京、神奈川、そして大阪の病院に移り、妹さんから骨髄移植を受けました。
骨髄移植当日、お見舞いに行きました。完全無菌室の真理さんに、電話を使って話をします。手を動かすだけでも苦しいはずなのに、彼女は受話器越しに、「牧師先生、私、教会の方々のために祈っています」
そう一言言われました。僕らの方こそ祈っているよ、そんな私の言葉が宙を浮いてしまう真理さんの一言でした。
その後、意識を2週間失っていましたが、2000年10月2日、家族から真理さんが天に召されたこと、大阪にすぐ来て欲しいことが告げられました。透明なビニールで覆われたベッドに横たわる高山真理姉と会い、壮絶な闘病の日々を思わされました。
彼女の好きだった詩編を繰り返し読み、家族と共に、「主よ、あなたと共に生きた髙山真理姉を御手にお委ねします」と祈り、密葬をおこないました。
真理さんの闘病の間、3年間、一時も離れることなく看病を続け、1年半近くも鹿児島に帰っていないお母さん。開業医でありながら、病院を他の先生に頼んで、何度も寄り添い続けたお父さん。兄弟に見守られ、最後の時を迎えました。納棺する時、お父さんが闘病の傷が生々しい真理さんの頭を、くしゃくしゃと撫でました。「愛しい我が娘。しっかり生きたよ」そんな声が響いてくる瞬間でした。
家族がみな揃ったときに、あの日曜の夜に、「自分が退院出来なかった時、家族に渡して」と預かっていた手紙を開封しました。お父さんもお母さんもその手紙の存在は知りませんでした。
「播磨牧師先生 たいへんお世話になります。勝手ではありますが、以下のことをお願いします。
葬儀はめぐみ幼稚園で牧師先生によって行って頂きたい。葬儀はめぐみ幼稚園の日曜礼拝のようにあたたかなものであってほしい。牧師先生、私は余り教会に足を運ぶことがありませんでしたが、幼い時に幼稚園で神さまの存在を教えて頂いたことは、私の人生の宝です。
その神さまに幼い頃から今までどれだけ助けられ、励まされ、愛されてきたことでしょう。
有難うございます。よろしくお願いします。髙山真理」
家族の方々と一緒に、私も泣きました。あの牧師館で涙を流しながら話をした時、牧師館から帰り際に、真理さんは「私は牧師先生の一分の一の説教が好きでした」と言われました。それは、百匹の羊に関して私が数ヶ月前に礼拝で話をしたものでありました。
ルカ15章の百匹の羊の話(説明)。神の愛は、今、危機の中にあり、孤独を覚え、救いを必要としている一匹にすべての愛を注いで向けられる「偏る愛」です。
百人に一づつの愛を注がれるのではなく、今助けを必要としてる一人に対して、他の99人の愛も含めて、百の力を持って愛されるものです。決して、百分のひとつづつの平等など考えておられません。
この点において、私たちは勘違いをしているのかも知れません。群から離れた一匹の存在は、野獣に襲われる危険がある中で、群にとって邪魔であり、迷惑な存在でもあります。落ちこぼれの存在であり、たとえその一匹が野獣に襲われても自業自得と言わざるを得ない存在かも知れません。
他の99匹を野原(荒れ地・砂漠・悪い霊が漂う場所)に残していくなど割が合いません。普通なら、他の羊飼いに99匹を託したり、柵のあるところまで導いて一匹を探し求めるべきでしょう。
しかし、偏る愛における神の平等は、99匹を残して、一匹を追いかけます。
99匹にとってもこのことは、迷惑な話では決してありません。「自分が群から離れた時に、落ちこぼれてしまった時に、このお方は、この神様は、自分にも今迷い出ている一匹の羊に対すると同じように、孤独・苦悩・絶望の中にある私のところにも来てくださる」という約束にあずかる者とさせ給う。
真理さんは、このイエスさまの教えが好きだと言われましこの羊飼いのように、神さまは、真理さんの側に共に居続けてくださったのです。神が罪人のために、愛される資格のない者のために、苦しみを背負ってまでも愛するお方であるのです。この言葉を、告別式の説教で紹介いたしました。
すると、「神の偏愛。親も同じ気持ちです」。告別式が終わった後、300名を超える参列者の前で、真理さんのお父さんはそうおっしゃいました。
「私には三人の子ども、羊がいます。病気の真理という羊のために私は他の二人をほったらかして、この羊を失うまいと闘ってきました。今、私は、その娘を私の手から失いました。
でも、教会の礼拝に出て私は知りました。私の手元から失われてしまったけれども、本当は失われていなかったということを。そこに、イエスさまがいてくださったのですね。
聖書では『見失った羊のたとえ』と見出しが付いていますが、この羊の話しは失われた羊の話しではなくて、失われなかった羊の話しなのですね。だから、私はもう嘆きはありません。笑みが出てきます。良かったという気持ちです」。
そう、失われていなかった羊の話しなのです。そのように27歳の娘を失った父親をして言わしめたもう神の愛の教えが、語られているのです。私たちは、生きている中で、自分の力で生きることができない事態に立たされることがあります。でも、その時にあっても、「この方がいて良かった」と言えるイエスさまがいてくださるのです。「この方が、ここにいてくださって良かった」という方がいるのです。髙山真理さんが「この信仰がないと自分は戦えない」と言わしめ、父親をしてこのお方のゆえに娘は失われていなかったことを知ることができた。良かった。魂の一番深いところで支えてくださるお方がいるのです。
イエス・キリストがいてくださる
人間が言葉さえ発することができない極限状況の中で、なお、人に生きる力を与えることができるのは、最愛の娘を失った父親をして言わしめた「このお方がいて良かった」というお方、イエス・キリストだけなのです。
イエスさまは、私たちがもう駄目だと言いたくなる絶望状況の中で、なお、私たちを支えてくださる方です。このキリストがいてくださるから、どんな困難な状況があろうとも生きていくことが出来るのです。
そこではもはや、自分の力で生きるのではありません。イエスさまに生かされて生きるのです。私の苦しみや悲しみ、罪を全て知っていて、きちんとその傷に触れ、罪を裁き、徹底した赦しを宣言してくださる方によって、生かされるのです。どん底の状況で、希望は自分の中から出てくるものではありません。
私の外から来るものなのです。まだ、バプテスマを受けていない方に心からお勧めします。
イエスさまの愛に生かされて生きていきましょう。高山真理さんが「私は健康な時に、イエスさまを信じたかった」、と語られた言葉を今、噛みしめてください。
イエスさまと人生を共に歩むとき、必ずあたなの人生が変わります。何かすがすがしい気持ちが与えられます。心の深いところで平安が溢れてきます。苦悩する状況にあっても、微笑むことができるのです。
イエスさまを信じて、洗礼を受けて生かされて生きていきましょう。
今日、皆さんが江波教会の礼拝に来ることが出来たことも、神さまの深いご計画の中にあると思います。今日のこの日を大事にしていきましょう。イエスさまに生かされる時に、私の人生は、あなたの人生は根底から変わるのです。このお方を信じて、このお方に日々出会いながら、人生を歩んでいきましょう。
イエスさまを信じて私も生きていきたい、その言葉が皆さんからお聞きする事を心から願いつつ、お祈りをいたします。