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主の共同体のために
更新日:11月20日
民数記27章12-23節
わたしは、いつも目の前に主を見ていた。わたしの右におられるので、わたしは決して動揺しない。
だから、わたしの心は楽しみ、体も希望のうちに生きるであろう。
自らの死を目前にした時、私たちは何を願い、どのように行動するでしょうか。宗教改革者の一人、マルティン・ルターは「たとえ明日 世界が滅亡しようとも、今日私はリンゴの苗木を植える。」示唆に富んだ言葉を残しています。果実を味わうのは私ではないかもしれないが、今からでも未来への希望を育むことが出来る。いつ終わりが来るか私たちには分からないからこそ、今を精一杯生きる。ということでしょうか。
モーセは120歳になり、神様から自らの命の終わりを告げられます。神様から託され、イスラエルの民のリーダーとして仕えてきた40年間でした。山あり谷ありの人生の旅路、その終わりに差し掛かっています。彼は自らの命が長らえることを求めません。彼の家族が権威を持つことも求めません。彼は主の共同体のために仕えるリーダーを求め、主に委ねます。彼は自分に似たリーダーを想定しますが、主が立てたリーダーであるヨシュアとはタイプが違います。ただし共通点もあります。モーセの欠点をアロンが補ったように、ヨシュアの足りないところをエルアザルが支えました。そして何よりも神様こそが、イスラエルの群れを導いてくださっているのです。