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他人を救う、それが救い主
ルカ23章32-38節 受難週を迎えました。二千年前の今日、大勢の群衆が「ホサナ」と歓声を上げてイエスさまのエルサレム入城を歓迎しました。しかし、それからわずか五日後、その歓声は「十字架につけろ」という叫びへと一変します。神の子が救い主として来られたのに、民はそれを受け入れず、嘲り、罵り、捨てていきました。しかし、神の救いのご計画は、まさにこの十字架の犠牲を通して進んでいくのです。罵られてもののしり返さず、捨てられても見捨てない。ここには、イエスさまの「静かな熱情」がはっきりと描き出されています。 北九州の奥田知志牧師は、その著書『ユダよ帰れ』の中で、 裏切り者の象徴とされるイスカリオテのユダにさえイエスの救いは及ぶと語っています。これは、ユダを最大の悪人と理解してきたキリスト教の神学を問う内容です。イエスの救いが完全であり、罪人のためのものであるならば、ユダであろうが、ペトロであろうが、私であろうが、そこに線引きはできません。ただ、ユダには別の点で決定的な過ちをおかしました。それは、罪の大きさそのものよりも、後悔した後に「帰るべき場所」を間
播磨聡師
4月5日読了時間: 4分


賛美の歌は響き渡る
ルカによる福音書 2章1-21節 「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」 疲れ切った日々に、自分がなぜ生きているのか分からなくなってしまう時が、誰しも訪れるかもしれません。努力しても認められず、声を上げても届かない。そんな経験が重なると、自分という存在の価値までも揺らいでしまいます。 クリスマスの夜、救い主の誕生を最初に知らされたのは、野宿をしていた羊飼いたちでした。彼らは仕事のために律法を十分に守れず、社会から軽んじられていました。さらにローマによる人口調査でも、貧しさゆえに、数にも入れられない存在でした。宗教的にも社会的にも小さくされ、まるで居ない者のように扱われていたのです。 この羊飼いたちに、まず初めに喜びの知らせは届けられます。もしも救い主が、王宮に誕生したと言われたならば、自分たちには無関係だと思ったかもしれません

杉本拓哉牧師
2025年12月28日読了時間: 2分


99 匹と 1 匹の羊
ルカによる福音書 15 章 1-7 「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見...
特別礼拝
2024年9月1日読了時間: 2分