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神殿税(命の代償)は支払われた
マタイによる福音書17章24-27節 花材/ランタナ・コスモス 今日の聖書箇所には、イエスさまが二度目の受難予告を語られた直後に、神殿税をめぐる出来事が記されています。受難予告の直後というタイミングは、この後の対話が単なる「納税の是非」という議論ではないことを教えています。イエス様が神殿税について語られる言葉の端々には、これからご自身が支払おうとしている「究極の代価」への思いが込められています。主は静かに、しかし力強く、神の子としての自由と、その自由をあえて愛のために制限する決意を示されるのです。 神殿税は、出エジプト記に定められた「命の代償」であると記されています。これは神殿の維持費ではなく、自分が神によって裁かれる罪を抱えていること、そのために代償が必要であるという意味が込められています。しかし、神の子であるイエスさまにはその代価を支払う必要はありません。にもかかわらず代償を支払わなければ滅びるしかない「僕(しもべ)」の列に、自ら並んでくださったのです。出エジプト記が記す「命の代償」という考えを無視するのではなく、引き受けることで、律法の
播磨聡師
18 時間前読了時間: 2分


重荷を負う
マタイによる福音書11:28-30 花材/オリヅルラン・スプレーカーネーション 徳川家康の遺訓とされる「人の一生は重荷を負て遠き道を行くがごとし」という言葉には、長年の苦難を経て天下を納めた人物の深い説得力があります。聖書の中で、この言葉を思わせるのはモーセです。八〇歳で神から命を受け、イスラエルの民をエジプトから導きました。しかし民は荒野で何度も不平を言い、モーセに反抗しました。彼は四〇年間民を導き続け、ついには「自分一人では負えない、殺してほしい」とまで訴えます。聖書はモーセを「地上のだれにもまさって柔和な人」と評します。 新約聖書には「重荷」を意味する言葉がいくつかあります。第一は、自分が担うべき使命や責任を表す「フォルティオン」です。神は各自に適した重荷と、それを担う力を与えてくださいます。第二に、一人では負いきれない「バロス」です。誰かに助けてもらい、一緒に追ってもらう必要のある重荷です。そして第三は、罪や悪い習慣など捨て去るべき「オンコス」です。 今感じている重荷がどれに該当するとしても、一人でくよくよと悩み続ける必要はありません
特別礼拝
8月30日読了時間: 2分


目を覚ましなさい
マタイによる福音書24章36-44節 人間というのは、いつでも「知っていたい」のです。将来の危機を予知し、それに対応できるように準備することで安心を手にしたいのです。しかしイエス様は、静かに、しかし明確に言われます。「その日、その時は、ただ父だけがご存じである」と。これは「あなたの明日は、あなたの手の中ではなく、神の御手の中にある」という宣言です。神のなされることを自分の手に収め、自分の力で明日を保証しようとする傲慢さを、イエス様はこの一言で打ち砕いて行かれたのです。 イエス様は、終わりの日はノアの時代のように訪れると言われました。人々は食べ、飲み、結婚し、働くという、ごく普通の日常を送っていました。そのような何気ない日々の中に終わりの日が来るのです。 「目を覚ましていなさい」とは、特別な努力をなし、緊張し続けることではありません。今日ここにいるほかの人の痛みに目を向け、できることをする。その小さな日々の積み重ねを、神はご覧になられるのです。終わりの日がいつこようとも、今日私に与えられたこの場所で、やるべきことをやるだけです。それが目を覚ま
播磨聡師
7月12日読了時間: 1分