検索


失意の逃亡者を用いる神
出エジプト 2:11-25 私たちは、それぞれの人生の物語を生きています。夢や希望をもって努力したことも、失敗し辛く悲しい経験をしたこともあるでしょう。それらの物語は、私が主人公の物語のようでありますが、実は、「私が主人公で、私が始まりであり、終わりである」というものとは違うことを、私たち信仰者は知っています。私の物語だと思っているものが、実はもっと大きな、神さまの物語に包まれていて、行き詰る時も、天地万物の創造に関わるような壮大な神の歴史の中に、私の物語が包まれているのです。今日の聖書に登場するモーセの人生も、壮大な神の物語に包まれていて、人間の物語としては苦しみの連続の人生ですが、それが実は神の物語においては、とても重要な意味を持っているのです。 間違いなく、聖書の中に出てくる神の使者、力強き指導者、英雄の一人、それがモーセです。しかし、そのイメージだけで語ってしまうと、やはり違う、神の救いは違うと言わざるをえません。聖書に登場する他の指導者たちと同様に、自分の生い立ち、自分の傲慢、自分の罪のゆえに、自己崩壊し、苦しみ呻きながら生きた
播磨聡師
9月6日読了時間: 4分


命を守る女たち
出エジプト 2:1-10 花材/教会庭のソテツ・菊・ちょうせん朝顔・フウセントウワタ 神の壮大な救いの物語の中で、私たちは生きています。私個人の物語が時として絶望と破綻の連続であったとしても、神の救いの物語に包まれているのです。人生に行き詰まり、壊れそうな悲しみに包まれるとき、神さまはこうした人間をこそ大切に用いてくださいます。 モーセも、苦しみと悲しみ、そしてアイデンティティーに悩み悶えた人でした。神は非の打ち所がない人ではなく、苦しむ人々の気持ちが分かる自らの弱さを知る者を指導者として選ばれます。 かつて赤ん坊の命を奪うファラオの命令に背き、命がけでモーセを守った女性たちがいました。助産婦たち、モーセの母、モーセの姉、ファラオの王女たちです。彼女たちは畏れるべきは王ではなく神であり、守るべきは命であると信じたのです。神を畏れ命を愛する人たちには危険や犠牲が伴います。真実と正義、神の支配を求め信じる勇気が必要です。私たちも、犠牲を払うことを覚悟して、与るものでありたいと願います。 モーセの80年に及ぶ苦悩の年月も、神にだけ寄り頼む指導者
播磨聡師
8月23日読了時間: 2分


恐怖も神の祝福を止められない
出エジプト記一章一―一四節 花材/パンパス・小菊・ひまわり・リンドウ・あかさ・サルスベリ 出エジプト記は、族長たちの名前を一つ一つ数え上げることから始まります。ヤコブと共にエジプトに下ったのは全部で七〇人。たった七〇人の一つの家族でした。ところが七節には、「イスラエルの人々は子を産み、おびただしく数を増やし、ますます強くなって国中に溢れた」と記されている。これは創世記一章の祝福の言葉そのままの響きです。長い年月の中で、神の祝福は静かに、しかし確実に働き続けていました。 一方で、ヨセフのことを知らない新しい王が立てられました。彼は、エジプトを飢餓から救ったヨセフの歴史を忘れ、増え広がるイスラエルの民を恐れ、何もしていないにもかかわらず、労役によって彼らを弾圧し、支配しようとしたのです。王はこう言いました。「一度戦争が起これば、敵側について我々と戦い、この国を取るかもしれない」。王が語っているのは、起こる保証などない未来の想像なのです。相手を人間として想像することをやめる時、人はどれほど残酷なこともできてしまいます。 けれども私は、この王を遠い
播磨聡師
8月16日読了時間: 2分