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神を畏れ、その戒めを守れ
コヘレトの言葉 12章1-14節 神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。 花材/南天・白菊 忙しい日々の中で、私たちは本当に大切にしたい事までも後回しにしてしまうことがあります。自分の心や体の声を聞き逃してしまったり、大切な人に「ありがとう」を伝えそびれたり、後悔することも少なくありません。コヘレトは、明日がどうなるか誰にも分からないからこそ、今日という時を精一杯生きるようにと語ります。時間はあっという間に過ぎ去ってしまうものだからです。若者もやがては年を重ね、体は衰え、命の主のもとへと帰ります。もしも明日が最期の日であるならば、今日の私たちは何を選ぶでしょうか。与えられている時の短さを思う程、物事の優先を見誤らず、心のこもった時間を過ごすようになるのです。 コヘレトは知識を求め、楽しみを尽くし、働きによって富を手にしました。しかし、多くの人が願う成功を手にしても、それが人生の幸せを保証するものではないことを悟ります。だからこそ彼は遺言のように、一つの結論にたどり着きます。「神を畏れ、その戒めを守れ。」神を畏れるとは、創り主を

杉本拓哉牧師
4 日前読了時間: 2分


まだ見ぬ世界を精一杯生きる
コヘレトの言葉 11章1-10節 あなたのパンを水面に投げよ。月日が過ぎれば、それを見いだすからである。 明日何が起こるのか、その全てを知ることは誰にもできません。将来が見えないことは確かに不安ですが、もしも全てを知り得たとしても、それは本当の安心に繋がっているのでしょうか。結末の分かっている試合で、全力を尽くすことは困難です。事故や災害がいつどこで起きるのか分かったとしても、心穏やかには過ごせません。私たちは未来を知らないからこそ、今という時を大切に、精一杯生きることができるのです。 私たちに残された人生の中で、今日が一番若い日です。そして若さとは年齢ではなく、まだ見ぬ世界へ踏み出す力であり、失敗しても立ち上がるしなやかさです。自分で蒔いた種を、いずれ刈り取る時がきます。しかし、そもそも種を蒔かなければ、収穫の恵みにはあずかれません。恐れや不安に立ち止まりそうになる時もあるでしょう。それでも主が共にいてくださるから、安心して全力で種を蒔くことができるのです。そして神様のタイミングで、豊かな実りを見出すことでしょう。主の御手の中で最善を尽くし

杉本拓哉牧師
11月23日読了時間: 2分


死を見つめ、今を生きる
コヘレトの言葉 9章1-10節 生きている犬のほうが死んだ獅子より幸せである。 花材/ 野薔薇・かすみ草・教会に咲いたバラ 中世のある修道院では、「メメント・モリ カルぺ・ディエム」と挨拶を交わしました。それは、「死を覚え、その日一日の花を摘み、今を生きよ」という意味です。私たちの人生、思いがけず、災害や病気や事故に遭うかもしれません。もしも自分の死が10年後だったら、1年後なら、明日だとすれば、私たちは限られた日々をどのように生きるでしょうか。死を身近に覚える時、私たちは与えられた時をより真剣に、感謝して生きるようになるのです。 コヘレトが生きていた時代、イスラエルの民は大国の支配に苦しみ、公平と正義の見えない社会に空しさを覚えていました。それでも神は、虐げられた者たちを見捨てず、希望の未来を備えておられたのです。彼らは自由と自治を求めた戦いに勝利したのでした。 私たちには明日のことが分かりません。それでも神は、小さくされた者に目を留め、希望を託すのです。人生の幸せは、自分の満足を追い求めて得られるものではありません。自分と共に生きる存在

杉本拓哉牧師
11月16日読了時間: 2分