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わが助けは来る
詩編121編 1-8節 江波教会と広島教会は、教会間協働の中で共に歩むことになりました。神の前にひざまずき、神を礼拝する中で、共に歩みを続けていきましょう。 詩編121編は、エルサレム神殿への巡礼者が歌った「都に上る歌」です。1・2節は旅立つ巡礼者が、3節以降は巡礼者を送り出す友人たちが歌います。友人の言葉には「見守る」が6回繰り返され、主がひとときも目を離さずに守ってくださるという確信が告白されています。 注目すべきは、1節と2節の間にある断絶です。1節で巡礼者は、険しい山々を前に不安と恐れに押しつぶされそうになり、「わたしの助けはどこから来るのか」と魂の底から呻きます。ところが2節では一変し、「わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから」と確信をもって告白します。 巡礼者の魂の呻きの言葉が尽き果てたところで、神の側から与えられた信仰の確信が与えられたのだと思います。巡礼者は気づいたのです。自分が恐れていた山々は、実は、神が造ったものに過ぎないことを。人は、危機の中で呻きを上げなければ、「わたしの助けは来る」との告白に至れないのか
播磨聡師
4月26日読了時間: 1分


主は平和を宣言される
詩編 85編2-14節 主は平和を宣言されます/御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に/彼らが愚かなふるまいに戻らないように。 私たちは「平和」と聞くと、戦争が起きていない状態を思い浮かべます。しかし日常生活の中でも、家族や友人や恋人との小さなすれ違いから、不安や苛立ちが積み重なることがあります。ストレスが多いこの社会では、思いやりの心を失い、自分や他者を傷付けてしまうこともあるでしょう。世界では争いのただ中で、涙を流している人々がいます。そうした現実を前に、私たちは「平和」と言えるのでしょうか。 問題が複雑に絡まり、どこから解決すればよいか分からなくなることがあります。元の関係に戻りたくても、簡単には戻れない痛みもあります。しかし主は、私たちが行き詰まりの中にあったとしても、平和を宣言してくださるのです。圧倒的な力で相手を抑えつける「ローマの平和」のようにではありません。傷ついた心を癒し、断たれた絆を結び直し、絶望の闇に希望の光を灯す、平和の主の歩みです。 十字架のイエス・キリストは、私たちの罪を担い、神の裁きを身に受けられました。そ

杉本拓哉牧師
2025年12月14日読了時間: 2分


あなたの重荷を主にゆだねよ
詩編 55編17-23節 あなたの重荷を主にゆだねよ 私たちは各々、信じている神に祈りをささげます。「苦しい時の神頼み」ということわざがあるように、上手くいっている時ではなく、困窮している時に祈るのが人間の現実です。しかしどこまで本気で、祈りが聞かれることを信じているので...

杉本拓哉牧師
2024年11月3日読了時間: 1分