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わが魂は黙してただ神に向かう
詩編62編1-13節 花材/カーネーション・教会の庭の植物 今週の詩編六二編ではダビデは嘆き叫ぶのではなく、「私の魂は沈黙して、ただ神に向かう」と告白します。この「沈黙は」は、ただ黙っているということだけを意味しません。嵐の中にある木が、深く根を張っているから倒れないという、彼の内面がどっしりと安定し、不動の状態を意味します。 四節~五節で、周囲の激しい攻撃の描写があります。口先で祝福しながら心では呪う。その中でダビデは「わたしは動揺しない」と言い切ります。恐れはある、しかし動揺しない。「動揺する」という言葉は「揺れる・滑り落ちる」を意味します。恐れを感じても足が揺らがないのは、自分の強さからではありません。「わたしの救いはある」、神の方向を向くことで自らの重心が定まっている。そこに立っているから、揺れないのです。 ダビデは、「人の子らは息よりも軽い」「暴力に依存するな」と語ります。それは他人への忠告というより、ダビデが自分自身に向かって語っている言葉に聞こえます。なぜならダビデ自身がウリヤを死なせその妻を奪うという道を歩んだからです。..
播磨聡師
3 日前読了時間: 2分


涙を革袋に蓄えてください
詩編 56:1-14 花材/フロックス・アジサイ・ひまわり 今日から三か月間、旧約聖書を礼拝で取り上げます。7月は詩編の学びです。詩編には、かつての信仰者が経験した神への賛美だけでなく、苦難や嘆き、呻きが神に向けてうたわれています。”なぜ神を信じて歩んでいるのに、こんなに多くの苦難が襲うのか”、”神はなぜ沈黙されているのか”、そのような私たちが経験する苦悩と同じ叫びが詩編にはあります。そしてその叫びを神に告白していく中で、作者自身の心が変えられ、"たとえ苦難の中にあっても、神は私を守る盾である"と、神への信頼の言葉へと変えられていく。詩編を繰り返して読んでいく中で、嘆き苦しみから神への信頼に変えられていく変化を、私たちも体験させていただけるのです。 詩編56編は、ダビデがサウル王に追われてペリシテの地ガトへ逃亡し、正体を見抜かれそうになり、気が狂ったのだと見せかけ、城門の扉をかきむしり、ひげによだれを垂らしてまで生き延びようとした時に歌われた詩です。かつて戦闘に勝利し続けた英雄の姿はそこにありません。自尊心も体面もすべてを投げ捨て、ただ殺され
播磨聡師
7月5日読了時間: 3分


わが助けは来る
詩編121編 1-8節 江波教会と広島教会は、教会間協働の中で共に歩むことになりました。神の前にひざまずき、神を礼拝する中で、共に歩みを続けていきましょう。 詩編121編は、エルサレム神殿への巡礼者が歌った「都に上る歌」です。1・2節は旅立つ巡礼者が、3節以降は巡礼者を送り出す友人たちが歌います。友人の言葉には「見守る」が6回繰り返され、主がひとときも目を離さずに守ってくださるという確信が告白されています。 注目すべきは、1節と2節の間にある断絶です。1節で巡礼者は、険しい山々を前に不安と恐れに押しつぶされそうになり、「わたしの助けはどこから来るのか」と魂の底から呻きます。ところが2節では一変し、「わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから」と確信をもって告白します。 巡礼者の魂の呻きの言葉が尽き果てたところで、神の側から与えられた信仰の確信が与えられたのだと思います。巡礼者は気づいたのです。自分が恐れていた山々は、実は、神が造ったものに過ぎないことを。人は、危機の中で呻きを上げなければ、「わたしの助けは来る」との告白に至れないのか
播磨聡師
4月26日読了時間: 1分