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主が成し遂げられる⑦
- 杉本拓哉牧師
- 2022年11月13日
- 読了時間: 2分
更新日:2024年11月25日
ヨハネの黙示録 22章1-21節
命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである。

旅をする時には、どこから出発して、どこに到着するのか計画を立てます。現在地と目的地が必要です。そして同伴者として誰と一緒なのかも重要でしょう。聖書全体を旅と見なすならば、出発は創世記で、目的地は黙示録となります。中心人物はアダムから始まり、アブラハムやダビデ、イエス・キリストへと繋がります。そして現在も黙示録に至るまでの旅路を、私たちは歩んでいます。その道のりは、初めから終わりまで、主が共におられる歴史でもあります。
黙示録では、世の終わりにおける裁きと救いが語られています。もしも、「信じなければ地獄行きだ」と、聞く人の不安をかき立てるようにして恐ろしい裁きを語り、信仰を強要するのであれば、カルト宗教と変わりません。むしろ聖書は、終末を語ることにより「あなたの今の選び取りが、将来に続くものとして生きよ」、「最後の時を過ごすかのように、今を主の前に精一杯生きよ」と勧められているのではないでしょうか。イエスは全ての人を、主が成し遂げられた救いの道へと招きます。主が再び来られる時、全ては明らかになります。あなたの心は今、どこにあるのでしょう。どこに向かって、誰と共に歩んでいくのでしょうか。
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