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主の日・主の火
- 杉本拓哉牧師
- 2023年12月24日
- 読了時間: 2分
更新日:2024年11月20日
マラキ書 3章1-3、16-24節
彼は精錬する者、銀を清める者として座し/レビの子らを清め/金や銀のように彼らの汚れを除く。

一日の終りがあり、一年の終りがあり、人生の終りがあります。終わりというのは決して残念なことではありません。次のステージの始まりでもあるからです。そして、終わりを意識するということは、今をどう生きるのかにも繋がります。だからこそ終わりの日、総決算の日は重要となるのです。神様はその日に一人一人を区別します。
主から遣わされた使者は、先立って王様である神様が来ることを人々に伝えます。神様に立ち帰り、迎え入れる準備をしなさい、と呼び掛けます。それらを聞いた人々は、従う者と逆らう者、二通りの反応を示しました。神の裁きの前に、自分自身が選び取っているのです。同じ物を与えられても、喜ぶ人と悲しむ人がいます。主の火は、ある人にとっては純度を高める精錬の火となり、ある人にとっては藁のように燃やし尽くされる火となります。主はその区別を見られると言うのです。精錬の火に身を委ねるのは怖いことです。しかし、体の中に染み込んだ罪という不純物を取り除けなくては、私たちは主に正しく献げることはできません。それは人の努力によって適うことでもありません。だからこそ、罪や汚れを取り除けてくださる救い主の到来が希望となるのです。
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