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自分の重荷、互いの重荷
更新日:11月12日
ガラテヤの信徒への手紙6章1-10節
兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、“霊”に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい。
失敗の経験は誰しもあることでしょう。しかし、いつからかレールを外れることへの恐れや、一つのミスさえも許されないような雰囲気が強まってきたように思います。それに伴い、チャレンジ精神は阻害され、社会全体から寛容さが失われてきたのではないでしょうか。依存症からの解放と回復を目指す、ダルクという施設があります。「もうダメだ」と諦めかけた所から、やり直しを共にする仲間がいることは、どれほどの助けとなるでしょう。
パウロは教会のメンバーを家族の一員として呼びかけ、誰かが過ちに陥ってしまった時には、手を差し伸べるように励まします。その人が立ち帰り、関係性を修復するための秘訣は、柔和な心です。ただしサポートする側にも誘惑はあります。やり過ぎてしまえば、相手の自立と成長の機会を奪ってしまうことになるでしょう。そして傲慢さや高ぶりの芽が出れば、関係性をさらに傷つけてしまうことにもなります。共同体として生きるためには、孤立せずに共に助け合うことと、一人で自己吟味をすること、二つの視座が重要になります。自分の力ではなく聖霊の結ぶ実によって、交わりが祝され主の命にあずかれますように。
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