もはや戦うことを学ばない
更新日:8月4日
ミカ 4:1-3

今日は平和祈念礼拝です。あの日から81年、広島原爆の日を迎えます。原爆で私たちの教会のメンバー6名が亡くなりました。被爆死者数はその年の末時点で14万人と言われています。ひとり一人、愛し、愛される家族があり、笑顔を交わす友がおり、夢や理想をもって生きていた方々です。生き残った方も、あの日を背負い心と身体に深い傷を負って生きています。今、私たちは「戦争を絶対にしてはいけない」、「核兵器廃絶」への決意を新たにいたしましょう。どんなに現実には困難と思えても、自分が生きている間に実現しないと思えても、それでもそこに向かって人々の意思が形成され、社会全体の価値観となっていくように声を上げていきましょう。
毎年、平和祈念礼拝では、キング牧師の言葉を取り上げ、平和への決意を確認しています。彼は「敵を愛する」ために、三つのことを指摘します。「①自分の中に他人の憎悪反応を起こす何かがあることを自覚すること、②敵の中にも善の要素を見出すこと、③敵を打ち負かす機会が訪れた時、決してそれをしないこと」。敵にも、自分と同じように安否を心配する親がいて、愛する子どもや妻がいる。夢や理想を抱き、笑顔にもなる。そんなことを想像しては、敵を殺せません。戦争を阻止するためには、私たちが敵の中に、自分と同じ人間性を想像できるかが鍵なのです。その想像力を失った人間が原爆を投下し、戦争を遂行するのです。この想像力の欠如は、他ならぬ私たちの心の中にも潜んでいます。自分と異なる考えを持つ他者を、心の中で「敵」と呼び、その人間性を否定する罪が、私たちの中にもあるのです。圧倒的な軍事力で敵を制圧しても、それで平和にはなりません。制圧された人の心には屈折した新たな憎悪が生まれます。軍事的強さは、正義であることを担保しません。憎悪や憎しみの連鎖を断ち切るために、罪に満ちた私たちを愛するために、キリストは十字架にかかられました。キリストの愛は、敵をも愛する愛です。この愛こそが平和を築くのです。
今日はミカ書4章を選んでいます。預言者ミカは、イザヤと同時代に南ユダ王国で活動しました。大国アッシリアが攻めてくる中で、人々は軍事力や富に安全や平和の土台を見出そうとし、神への信仰は何の役にも立たないと、神を侮り高慢になっていきました。ミカは同胞の姿を嘆きながら、躊躇なき裁きを語ります。この厳しい裁きの宣告は、二千数百年前のイスラエルに向けられただけのものではありません。自分たちの力や防衛力に頼り、神への畏れを忘れ、自らの高慢さゆえに「敵意の壁」を築き続ける、今の私たちの罪への鋭い告発にほかなりません。私たちはまず、自らが神の前で裁かれるべき、徹底的に打ち砕かれなければならない罪人であるという自己理解の前に立つ必要があります。旧約の思想で大切なのは、裁きと希望が同時に語られていることです。裁かれ、打ち砕かれなければならないという自己理解に立たされた時に、神の救いが語られる。それがミカ書5章の救い主誕生の預言です。そして4章3節、「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」。主の主権において平和な世界が築かれる希望の日です。私たちのおごり、神への侮り、それらが裁かれるところで、救い主の誕生は起こるのです。安易な自己肯定や自己防衛の嘘を捨て、ただ神が起こして下さる救いを待ち望みましょう。
不信や疑い、不安と恐れを覚える世界の中で、「敵意という隔ての壁」は、恐怖心を煽られる時に容易に作り出されます。「キリストこそ平和。敵意という隔ての壁を十字架で取り壊されたお方」。この告白を改めて確認しましょう。私たちは信じます。人間の高慢が打ち砕かれるところで、神の救いのご計画が始まることを。イエス・キリストは、私たちと神とを引き裂く敵意を滅ぼし、私たち人間同士を引き裂く敵意を滅ぼしてくださいました。敵対する二つのものを一つにし、平和を与えてくださいます。憎悪の連鎖、悪の連鎖を断ち切るために、イエス・キリストが十字架の上で和解を実現してくださったことを、私たちは信じます。主イエスによって解放され生かされた私たち教会は、主イエスの平和の福音、和解の福音に生きていきます。主が人間の高慢を打ち砕き、「剣を打ち直して鋤とし、もはや戦うことを学ばない」日を一日も早く実現しますように、共に祈りましょう。
広島教会 播磨聡牧師
音声メッセージ
