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神にはできる
マタイによる福音書19章23-26 「永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか」と尋ねた金持ちの青年に対して、、イエス様は「掟を守りなさい」と語られ、さらに「持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そして、私に従いなさい」と言われました。しかし青年はこの言葉を聞くと、悲しみながら立ち去りました。たくさんの財産を持っていたからです。 ある人は、この対応は、カウンセリングの面接としては失敗だったといいます。苦悩しながら相談に来た人を突き放す言葉だったからでしょう。しかし、本当にイエス様は彼を突き放したのでしょうか。永遠の命、神の救いの業は、人間の努力によって手に入れられるものではありません。「私にはできません」という告白こそ神の憐れみと許しを必要とする信仰への出発点です。イエス様は彼をただ突き放したのではなく、信仰の原点に立つように促したと私には思えるのです。 経済的に豊かになると、自分への過信が生まれるのでしょう。しかし、永遠の命、神の救い、本当の安心、安全は、お金や自分の努力で得られるものではありません。自分にはでき
播磨聡師
6月14日読了時間: 1分


神を愛し、隣人を愛する
マタイ 22:34-40 花材╱オオアレチノギク・紫陽花・タマシダ 5月20日、米国ドルトン教会の11名をお迎えし、平和を求める交流会が開かれました。スザンヌ宣教牧師の証しに深く心を打たれました。先生の教会には、移民の立場ゆえに突然入国管理局に連行された女性がおられ、スザンヌ先生はその審査に同行し、不安の中にある彼女の隣に座り続けられました。他者の痛みを共に担うことこそ平和の始まりだと教えられました。ジョナサン・バーロウ主任牧師は、ミカ書6章8節から「平和への長い道のり」と題して語られました。「平和は痛みを無視せず、悲しみを尊厳をもって記憶し、忍耐強く歩む小さな日々の選びの中にこそ築かれる」。アメリカに、苦しむ人、弱い人に寄り添い、平和を築こうとするクリスチャンがおられる。そのことを知り、深く励まされる時となりました。 しかし振り返れば、世界はかつてないほど分断されています。国と国が憎しみを増幅させ、相手を非人間化する言葉が公然と語られる時代に、私たちは立っています。SNSを開けば、外国人を排斥する声が日常の風景となりつつあります。「敵」の中
播磨聡師
6月7日読了時間: 3分


この最後の者にも
マタイによる福音書20:1-16 花材/フトイ・南天・アマリリス これを、愛と憐れみに満ちた神の姿に思えますか。それとも、労働への対価として不公平な神様だと感じるでしょうか。人間の目で見れば、一時間働いた者と一日働いた者が同じ賃金なのは不公平で、経営者として愚かに見えるかもしれません。しかし、神様の思いはそこにありません。最後まで残されていた者にまで目を向け、今日を生きられるようにしたい、その一人の命を大切にしたいという、理屈を超えた熱情が込められています。報酬ではなく、神の「恵み(恩寵)」の物語なのです。 信仰とは、自分を「朝から働いた功労者」ではなく、誰にも顧みられなかった「最後の一人」であると自覚することから始まります。そして、「この私も見捨てられなかった」という驚きと感謝に生かされるとき、私たちは他者を裁く者から恵みを分かち合う者へと変えられていきます。 広島教会 播磨聡牧師 音声メッセージ https://drive.google.com/file/d/1RrqVdTTWBj0iSBY1lJwMYuhPGGQodUJG/view?
播磨聡師
5月31日読了時間: 1分