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わが魂は黙してただ神に向かう
- 播磨聡師
- 3 日前
- 読了時間: 2分
更新日:2 日前
詩編62編1-13節

今週の詩編六二編ではダビデは嘆き叫ぶのではなく、「私の魂は沈黙して、ただ神に向かう」と告白します。この「沈黙は」は、ただ黙っているということだけを意味しません。嵐の中にある木が、深く根を張っているから倒れないという、彼の内面がどっしりと安定し、不動の状態を意味します。
四節~五節で、周囲の激しい攻撃の描写があります。口先で祝福しながら心では呪う。その中でダビデは「わたしは動揺しない」と言い切ります。恐れはある、しかし動揺しない。「動揺する」という言葉は「揺れる・滑り落ちる」を意味します。恐れを感じても足が揺らがないのは、自分の強さからではありません。「わたしの救いはある」、神の方向を向くことで自らの重心が定まっている。そこに立っているから、揺れないのです。
ダビデは、「人の子らは息よりも軽い」「暴力に依存するな」と語ります。それは他人への忠告というより、ダビデが自分自身に向かって語っている言葉に聞こえます。なぜならダビデ自身がウリヤを死なせその妻を奪うという道を歩んだからです。
今、戦争の恐怖と威嚇に満ちたこの時代の中で、暴力を生む連鎖が繰り返されています。それでも「沈黙して、ただ神に向かう」のです。それは逃避でも諦めでもなく、そこに神の働かれる場所があると信じるのです。
広島教会 播磨聡牧師
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