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使徒言行録 28 章 16-31 節
『この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。』


オリヅルラン・小海老草
オリヅルラン・小海老草

 大切なことを伝えても届かないことがあります。心を込めた言葉であっても、会話のスタンスが説得であれば拒絶される可能性が増すでしょう。相手の側では、自分で納得して選んだという感覚が乏しくなり、押し付けられたと思うからです。もしもご近所さんにスーパーの特売品を紹介したら、喜びが分かち合われるかもしれません。もしも子どもに食事をするように促しても、席に着かないかもしれません。相手の主体性が重要となります。

 パウロはユダヤ教の人々に福音を宣べ伝えて説得しますが、届く人と受け入れない人が出てきます。その状況を旧約聖書から引用して「心が鈍くなっている」と表現します。原文では「心が肥えて太っている」という意味が含まれます。満腹では食欲が湧きません。神様に対する飢え渇きがなければ、主を求める心に繋がらないのです。気持ちが変わるには時間が必要でしょうし、美味しそうに食べる隣人がきっかけとなるかもしれません。教会ではこれを証と呼びます。証ではそれぞれの出来事を通して、主にある喜びを味わい伝えます。聖霊なる神様によって一人ひとりは用いられ、世界中に主の福音が分かち合われ、届けられていくのです。


音声メッセージ

執筆者の写真杉本拓哉牧師
使徒言行録 28章1-15節
わたしたちはローマに着いた。

花材/ぎぼうし ・ゼラニウム・向日葵
花材/ぎぼうし ・ゼラニウム・向日葵

 私たちは約束をどこまで信じることができるでしょうか。一週間・一カ月・一年、時間の経過と共に、諦めてしまうこともあるでしょう。辛く困難な出来事に直面する中で、信頼が揺らぐこともあるかもしれません。それでも、主は約束を守ってくださるのです。

 パウロの旅の始まりは、神様からの恵みによる方向転換でした。周りの人々が戸惑う程に、生き方が変えられたのです。その時からパウロに、異邦人・王様・ユダヤ人のもとへ、主の御名を宣べ伝えるという使命が託されます。そうして一歩進む毎に、次なる一歩が示されるようになりました。いつしかパウロは、聖霊の導きによって、ローマへの思いを抱くようになります。それでも人々は、表面的な部分にしか目が届きません。逮捕や、船旅での嵐や、毒蛇に噛まれてしまう時に、私たちは主の御心ではなかったと判断してしまいがちです。上手くいけば御心で、失敗すれば御心ではないのでしょうか。決してそんなことはありません。主は、パウロたちが望んでいなかった出来事すらも通して、福音を分かち合う機会とし、約束のローマへ守り導かれていったのです。勇気を与え、毒から救い出し、命を分かち合われる主が、今も共に生きておられます。


音声メッセージ

執筆者の写真杉本拓哉牧師
使徒言行録 27 章 9-44 節
パウロは彼らの中に立って言った。「今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。」


小花・ハルシャギク・ヤナギハナガサ・宿根カスミ草・紫陽花
小花・ハルシャギク・ヤナギハナガサ・宿根カスミ草・紫陽花

 信用とは、現在の行為を通して将来必ず義務を成し遂げることを推測し任せることを意味します。約束を守ってもらえる相手だと認めて任せること、と言い換えられるでしょう。はたして私たちは何を根拠に相手を信用するのでしょうか。

 パウロは囚人として、カイサリアからローマに船で向かう事になりました。百人隊長は、船を乗り継ぎながら目的地へ護送する計画を立てますが、向かい風のため思うように進めません。そして現在地である不便な港か、数十キロ離れたより良い港か、どこで冬を越すか百人隊長は選択しなければなりませんでした。パウロは留まるように勧めますが、船長たちは進むことを提案し、百人隊長は船長らを信用して出発しました。しかしすぐに暴風に巻き込まれてしまうのです。暗礁に乗り上げずに済むように、荷物や船具を海に投げ捨て船を軽くし耐え忍びますが、一向に天候は回復しません。居場所も分からず、コントロールも効かず、皆が命を諦める中でパウロは立ち上がりました。そして皆を励まし、主の言葉を分かち合い、食卓を囲み、元気づけていったのです。知識も経験も権力も頼りにならない場所でも、約束を与え信用できる主なる神様が、命を守り導いてくださったのです。


音声メッセージ

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