- 杉本拓哉牧師

- 2020年6月28日
- 読了時間: 1分
ヨハネによる福音書3章1~15節
人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。

聖書にはアイウエオ作文の詩や、韻、たとえ話や、一つの言葉で二つの意味の掛け合わせなど、面白おかしく覚えやすくするための工夫がある。
ニコデモとイエス様との対話は、すれ違っており噛み合っていないように見える。
しかし、そこにはダブルミーニングやユダヤ教の文化が背景に隠されている。
イエス様はニコデモに向かって、何度も何度も、「アーメン、アーメン(はっきり言っておく)」と、大事なことを伝えている。理解しきれないニコデモに、諦めることなく語りかけ続ける。対比やたとえ話を用いて、何とかして伝えようとする。それは、『わたし(イエス様)を信じ、救われよ』という招きであった。
イエス・キリストはニコデモに向かって、そして私たち一人一人に向かって、「ラビ(先生)として信じるのではなく、メシア(救い主)として信じなさい」と、諦めることなく語り掛け続けている。十字架のイエス・キリストこそが、私たちに新しい霊・新しいいのちを注いでくださるのである。
詩篇51:12
神よ、わたしの内に清い心を創造し
新しく確かな霊を授けてください。

神様の出来事と出会う時、気付かされる時、私たちはその出来事を表現したくなります。また、自分でも目を背けたくなる程の、自分の罪に向き合わされる時、神様を求めるのではないでしょうか。詩編には、神様への思いを言葉にした、祈り・賛美・詩・歌が集められています。
51編で、詩人は「霊」を求めます。霊とは、他の場面では、風・息・命・心と訳されている言葉です。「霊」は神様からいただく、いのちなのです。そして詩人は3つの霊を求めます。①「確かな霊」確かさ、基準となるものを私たちは持っていません。清い心もありません。神様のみが、新しく創り出してくださいます。②「聖なる霊」私の中にある良心も、神様から与えられたものです。どうか、取り上げないで下さいと、詩人は祈ります。③「自由の霊」私を支える霊は、神様という身分の高いお方の霊、その霊は進んで働き、自由に導き、仕えることを喜ばれる霊。その霊で、私を支えてくださいと求めています。
驚くことに、神様も「霊」を求めています!「打ち砕かれた霊」を求めているのです。それは神様を求める心。神様の前で、自らが小さくなり、神様の憐みを願う心。その時、赦されていることに、気付かされるのです。今週一週間も、新しい霊を求め、新しいいのちに生かされていきましょう。
- 杉本拓哉牧師

- 2020年6月14日
- 読了時間: 2分
エフェソ1:3~14
神はこの恵みを私たちの上にあふれさせ。全ての知恵と理解を与えて,秘められた計画を私たちに知らせてくださいました。

パウロからエフェソの教会の人々へ、熱い思いを込められて書かれた、エフェソの信徒への手紙。
書き始めである1章に書かれている内容は、「神様って、こんな方」という紹介文でした。三位一体なる神様、イエス・キリストの父なる神様と、子なる神イエス・キリストと、父と子から遣わされた聖霊なる神様。
父なる神様は、①私たちを祝福し、②世界が創られる前から、私たち一人一人を選び、③神様の子ども、養子にしてくれました。イエス・キリストは、④私たちを贖い、⑤私たちの罪を赦し、⑥イエス様にあって一つに集め、⑦約束のものを受け継ぐ者とされました。聖霊なる神様は、⑧私たちに、聖霊で印を押し、⑨将来の約束の保証として、聖霊なる神様を与えてくださいました。
わたしたちは、来週、バプテスマ式を控えています。私たちがイエス様によって買い戻された金額は、イエス様ご自身のいのちであったことを知るのです。私のいのちの価値は、イエス様のいのちと同じほどに高価で尊いいのちであると言われているのです。
私の罪を赦すためには、イエス様のいのちが必要な程であった。十字架がなければ、私の罪も、私に対する愛も気付くこと出来なかった。神様は、それほどまでに、あなたが礼拝者となるように招いています。神さまとの交わりに招いています。なんという恵みでしょうか。