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一本でもニンジン・一人でもニコデモ
更新日:11月24日
ヨハネによる福音書3章1~15節
人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。
聖書にはアイウエオ作文の詩や、韻、たとえ話や、一つの言葉で二つの意味の掛け合わせなど、面白おかしく覚えやすくするための工夫がある。
ニコデモとイエス様との対話は、すれ違っており噛み合っていないように見える。
しかし、そこにはダブルミーニングやユダヤ教の文化が背景に隠されている。
イエス様はニコデモに向かって、何度も何度も、「アーメン、アーメン(はっきり言っておく)」と、大事なことを伝えている。理解しきれないニコデモに、諦めることなく語りかけ続ける。対比やたとえ話を用いて、何とかして伝えようとする。それは、『わたし(イエス様)を信じ、救われよ』という招きであった。
イエス・キリストはニコデモに向かって、そして私たち一人一人に向かって、「ラビ(先生)として信じるのではなく、メシア(救い主)として信じなさい」と、諦めることなく語り掛け続けている。十字架のイエス・キリストこそが、私たちに新しい霊・新しいいのちを注いでくださるのである。