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廃墟より 新たにされる 神の霊
更新日:11月20日
エゼキエル書36章22-38節
荒れ果てていたこの土地がエデンの園のようになった。
荒れ果て破壊されて廃墟となった町々が城壁のある町になった。
一人では困難な課題も、チームで対処することで解決に向かうことが多々あります。ことわざに「三人寄れば文殊の知恵」という教訓もあれば、毛利元就も「三本の矢」として家族の団結を語ります。聖書もまた「ひとりが攻められれば、ふたりでこれに対する。三つよりの糸は切れにくい。」と、交わりの豊かさを説いています。
イスラエルがバビロニア帝国の支配下にあった時、エゼキエルは神様の言葉を民に伝えます。
「これは主の裁きである。しかし今、私の霊をあなた方に与える。時が来れば、イスラエルの廃墟は建て直される。その時人々は、私が主なる神であることを知るようになる。」神様の愛が、私たちの外見・内面などに依拠するならば、容易く取り去られていくものでしょう。しかし神様は、神様のために、人を愛するのです。一見、傲慢にも思える考え方です。それでも私たちの側に愛される理由が何一つ無いと知る時に、それにも関わらず愛してくださる、神様の恵みを覚えます。この恵みにより、神様と人・人と隣人・人と自然世界との関係は回復すると語られています。私たちは神様が繋ぎ合わせる交わりへと、今日も招かれているのです。