検索


この世の不条理と、神の前の幸い
コヘレトの言葉 8章7-17節 しかし、私は知っている/神を畏れる人々には/神を畏れるからこそ幸せがあると。 花材/トベラ・ピ ンクッション・カスミ草 真面目に働く人が損をして、不正がまかり通るような出来事に心が痛むことがあります。「なぜ正しい人が苦しむのか」、「なぜ神は正義を執行しないのか」と、問わずにはいられない日もあるでしょう。それでも、悪が放置されて良いわけではなく、神が働いていないのでもありません。神の愛は今もあなたが立ち帰るように、忍耐しながら待ち望み祈っているのです。 ナチス・ドイツの政権下、ボンヘッファー牧師は声を上げます。「悪に対する沈黙は悪そのものだ。語らないことは語ることであり、行動しないことは行動することだ。」不正に対して沈黙するなら、弱い立場の人をさらに苦しめてしまいます。誰かがいじめられている時、もし黙って見過ごすならば、いじめに協力していることになるでしょう。語らないことを通して伝わる思いがあり、行動しないことを通して届けられるメッセージがあるのです。力で他者を支配していく社会では、より大きな力を前にして、不安と

杉本拓哉牧師
11月9日読了時間: 2分


義に過ぎず、悪に過ぎず
コヘレトの言葉 7章7-22節 あなたは義に過ぎてはならない。…どうして自ら滅びてよかろう。あなたは悪に過ぎてはならない。…あなたの時ではないのに、どうして死んでよかろう。 花材/誕生日のお花・紫陽花の葉っぱ・里芋の葉っぱ・日本コスモス 生きていると、理不尽な目に遭うこともあるでしょう。正直者が損をして、不正をする人が得をしているように見える場面もあります。また、置かれた環境や、過去の傷、人間関係のこじれによって、生き方が歪められてしまうことがあるかもしれません。現実に打ちのめされ、将来への希望を見失う時、私たちは過去にすがって「昔は良かった」と思いがちです。しかし、そのような考えは主の知恵ではありません。過去と他人を変えることはできず、今と自分だけが変えられるものだからです。過去の自分が精一杯生きてきた証である「今」を否定せずに、未来に繋がる一歩を踏み出しましょう。 幸いな日には主にある喜びを味わい、不幸な日には主への畏れを覚えましょう。私たちは将来が分かり得ないからこそ、謙虚さが育まれます。もしも自分の正しさに固執するならば、周囲の人々は

杉本拓哉牧師
11月2日読了時間: 2分


三つよりの糸
コヘレトの言葉 4章1-17節 三つ編みの糸はたやすくは切れない。 誕生日祝いのお花・折鶴蘭 誰かが泣いたり悲しんだりしていても、私たちは気付かないふりをすることがあります。近くのアパートから怒り声や泣き声が聞こえたとしても、関わり合うことを避けてしまうかもしれません。世界情勢において、力のある国が弱い国から利益を貪り、軍部のクーデターによる支配が取り沙汰されても、無関心にやり過ごしてしまいます。 もしもあなたが、涙から目をそらしてきたならば、聖書は今日も『見よ』と呼びかけています。虐げられている人々を、見ないふりをするのではなく、痛みや悲しみを見つめ、隣人を知ることから全ては始まります。自分の欲求を抱え込むための両手ではなく、互いに愛をもって助け合い、手を取り合う生き方へ招かれています。私たちは弱く、出来ることには限界があります。だからこそ、与えられた出会いの中で、支え合う者とされているのでしょう。 イエス・キリストは、世界中の涙を見つめ、憐れみ救いの手を差し伸べました。その手は交じり合うことのない二つの糸を、結び合わせる和解の働きです。

杉本拓哉牧師
10月26日読了時間: 2分