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この世の不条理と、神の前の幸い
- 杉本拓哉牧師

- 11月9日
- 読了時間: 2分
コヘレトの言葉 8章7-17節
しかし、私は知っている/神を畏れる人々には/神を畏れるからこそ幸せがあると。

真面目に働く人が損をして、不正がまかり通るような出来事に心が痛むことがあります。「なぜ正しい人が苦しむのか」、「なぜ神は正義を執行しないのか」と、問わずにはいられない日もあるでしょう。それでも、悪が放置されて良いわけではなく、神が働いていないのでもありません。神の愛は今もあなたが立ち帰るように、忍耐しながら待ち望み祈っているのです。
ナチス・ドイツの政権下、ボンヘッファー牧師は声を上げます。「悪に対する沈黙は悪そのものだ。語らないことは語ることであり、行動しないことは行動することだ。」不正に対して沈黙するなら、弱い立場の人をさらに苦しめてしまいます。誰かがいじめられている時、もし黙って見過ごすならば、いじめに協力していることになるでしょう。語らないことを通して伝わる思いがあり、行動しないことを通して届けられるメッセージがあるのです。力で他者を支配していく社会では、より大きな力を前にして、不安と不信が広がっていきます。しかし、神を畏れる人生は、不安や恐れから解放される歩みです。神の愛が支配する時、恐れを越えて、赦しと平和が心に生まれてきます。不条理の中においても、神の愛はあなたを照らし、希望の光で導いてくださいます。
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