top of page
詩編 85編2-14節
主は平和を宣言されます/御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に/彼らが愚かなふるまいに戻らないように。

 

 私たちは「平和」と聞くと、戦争が起きていない状態を思い浮かべます。しかし日常生活の中でも、家族や友人や恋人との小さなすれ違いから、不安や苛立ちが積み重なることがあります。ストレスが多いこの社会では、思いやりの心を失い、自分や他者を傷付けてしまうこともあるでしょう。世界では争いのただ中で、涙を流している人々がいます。そうした現実を前に、私たちは「平和」と言えるのでしょうか。

 問題が複雑に絡まり、どこから解決すればよいか分からなくなることがあります。元の関係に戻りたくても、簡単には戻れない痛みもあります。しかし主は、私たちが行き詰まりの中にあったとしても、平和を宣言してくださるのです。圧倒的な力で相手を抑えつける「ローマの平和」のようにではありません。傷ついた心を癒し、断たれた絆を結び直し、絶望の闇に希望の光を灯す、平和の主の歩みです。

 十字架のイエス・キリストは、私たちの罪を担い、神の裁きを身に受けられました。そこで神の慈しみと真実は出会い、和解が成し遂げられたのです。そのために救い主は誕生されました。神と人との平和をもたらす救い主を、共に礼拝しましょう。主の平和が、あなたの日常の歩みを明るく照らしてくださいますように。


音声メッセージ

イザヤ書 11章1-10節
エッサイの株からひとつの芽が萌えいで その根からひとつの若枝が育ち その上に主の霊がとどまる。



 枯れた草花や、切株を見れば、終わりを感じて諦めてしまいがちです。人生においても、努力が実らなかったこと、大切な人とすれ違ってしまったこと、勉強しても身につかなかった科目、諦めて断ち切った過去が思い当たるのではないでしょうか。それでも自然界において、枯れ果てたように見える切り株からも、小さな芽が生えることがあります。私たちの人生においても、終わったと思えるような所から、予期せぬ始まりが待っていることもあるのでしょう。

 イスラエルの国は当時、他国の支配下にあり、強力な軍事力によって滅ぼされる日が近づいていました。祈っても状況は変わらず、行き詰まりの中に彼らは立たされていたのです。頼りにしていたものは断たれ、希望が途切れたかのように見えましたが、神はそこからでも新しい命の芽を起こされるのです。救い主は弱い立場に置かれた人に寄り添い、か細い声に耳を傾け、不当な目に遭って隠されていた痛みにも目を留めます。そしてこの地に正義と公平をもたらします。この希望の知らせは人間関係だけに留まらず、自然界の和解にまで及びます。私たちが気付かなくても、神は確かに働いておられるのです。私たちが絶望している所からも、神の希望が芽吹き、花咲いて実を結びますように。


音声メッセージ

江波キリスト教会 〒730-0834 広島県広島市中区江波二本松1丁目10−26 TEL:(082)231-4561

©2021 by 江波キリスト教会。Wix.com で作成されました。

bottom of page