- 杉本拓哉牧師

- 2020年9月27日
- 読了時間: 2分
出エジプト19:1-8a
今、もしわたしの声に聞き従い わたしの契約を守るならば
あなたたちは全ての民の間にあって わたしの宝となる。

本日は江波教会の誕生日です。この地で宣教が始まったのは1957年9月20日、63歳を迎えています。当初、そろばん教室の建物をお借りして集会が始まりました。それから一人一人が、一歩一歩、主と共なる歩みをされ、それぞれの歴史を積み重ねた上に、今、江波キリスト教会がここに建っています。63年の歩み、それは冒険の旅に譬えることが出来るでしょう。苦しい道のり、別れと出会い、困難な出来事、感動の涙…。私たちは、神様との出来事を『証』として言葉にします。言い換えれば旅の途中にあるセーブポイント。道を見失った時に、立ち返る場所になります。
自分の力ではどうしようもない、困難な出来事を目の前にした時、多くの人は『神様を求める』のではないでしょうか。なんとか上手くいったならば神様に感謝することでしょう。それでも、再び同じような出来事を前にした時、今度は神様を求めずに、自らの経験を頼りにするのではないでしょうか。そうではなく、神様によってこの出エジプトの出来事が為された、神様に礼拝する時が与えられた、これは神様の約束の成就だ、と、モーセは証しているのです。そしてイスラエルの民も、この神様の約束に応答して生きることを告白します。私たちの63年間の歩みも主の守りと導きであることを告白しましょう。『主よ、あなたの約束に、今、聞き従います』。
- 杉本拓哉牧師

- 2020年9月20日
- 読了時間: 2分
出エジプト12:21-28
これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいた
イスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである

「忙」も「忘」も、心を亡くすと書きます。今、ゆっくり深呼吸をして、心静かに、小さな声に耳を澄ませてみませんか?私たちの日常はともすると忙しすぎるのかもしれません。たくさんの物事に押し流されて、大切なことを忘れてしまっているのかもしれません。
イスラエルの人々も、エジプトから解放され、神様が招く場所に向けて出発するという時に、心を騒がしていました。神様は、「イスラエルの人々が“過ぎ越され”救われた出来事を忘れないようにしなさい。儀式の意味を子供たちに伝えなさい」と語ります。形にとらわれ中身がおろそかになってしまっては意味がありません。しかし私たちが出来事を忘れないために、形を持つことは有効な手段です。この掟により、今でもユダヤ教の人々は『過越祭』を守り続けています。そして、イエス様も十字架の前夜、『過越祭』を行いました。
私たちもイエス様の『主の晩餐式』を毎月覚えていますが、この原型は『過越祭』にあるのです。『過越祭』では傷のない小羊が屠られ、その血を入口の柱に塗ることで、滅ぼす者から“過ぎ越され”ました。人々の祈りや善行によって救われたのではなく、小羊の血によって救われたのです。そして聖書は、イエス・キリストを、傷のない小羊だと証しているのです。
- 杉本拓哉牧師

- 2020年8月30日
- 読了時間: 2分
エレミヤ6:6-16
「主はこう言われる。さまざまな道に立って、眺めよ。
昔からの道に立って、眺めよ。昔からの道にッ問いかけてみよ。
どれが、幸いに至る道か、と。
その道に歩み、魂に安らぎを得よ。

8月は「平和」をテーマにしています。預言者エレミヤは神様の言葉を伝えます。「人々は、平和がないのに『平和、平和』と言う」。当時エルサレムでは、法律が守られておらず、地位ある者による抑圧があり、人々は自らの利益を貪っていたことが記されています。その中で主は、小さくされている人々の叫び声を聞かれた。いじめが起きることにも、上下の力関係が発生する構造にも神様は怒られた。それは「平和」ではない。だからこそ主は、「懲らしめを受け取り、立ち帰りなさい」と語るのです。
沖縄のニュースを聞きました。「クラスターが発生した米原子力空母乗組員3000人の沖縄移送計画の取りやめ」というニュースです。沖縄の人達は、とても困りました。沖縄平和運動センターの方は、新聞でこのような発言をしています。「沖縄がまともに扱われないところに、県民の痛みと、憤りがある」と。この叫び声もまた、神様は聞かれているのです。
『分かれ道に立って、周りを見渡しなさい。過去を振り返り、幸いに至る道をたずねなさい。その道を歩み、魂を安らぎなさい』。主の言葉は、時を超え、場所を超え、今もわたしたちに響いているのです。