top of page
執筆者の写真杉本拓哉牧師

忙しくても、忘れずに

更新日:11月20日

出エジプト12:21-28
これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいた
イスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである

花材/紫陽花・夾竹桃・菊・ばら
花材/紫陽花・夾竹桃・菊・ばら

 「忙」も「忘」も、心を亡くすと書きます。今、ゆっくり深呼吸をして、心静かに、小さな声に耳を澄ませてみませんか?私たちの日常はともすると忙しすぎるのかもしれません。たくさんの物事に押し流されて、大切なことを忘れてしまっているのかもしれません。


 イスラエルの人々も、エジプトから解放され、神様が招く場所に向けて出発するという時に、心を騒がしていました。神様は、「イスラエルの人々が“過ぎ越され”救われた出来事を忘れないようにしなさい。儀式の意味を子供たちに伝えなさい」と語ります。形にとらわれ中身がおろそかになってしまっては意味がありません。しかし私たちが出来事を忘れないために、形を持つことは有効な手段です。この掟により、今でもユダヤ教の人々は『過越祭』を守り続けています。そして、イエス様も十字架の前夜、『過越祭』を行いました。


 私たちもイエス様の『主の晩餐式』を毎月覚えていますが、この原型は『過越祭』にあるのです。『過越祭』では傷のない小羊が屠られ、その血を入口の柱に塗ることで、滅ぼす者から“過ぎ越され”ました。人々の祈りや善行によって救われたのではなく、小羊の血によって救われたのです。そして聖書は、イエス・キリストを、傷のない小羊だと証しているのです。

閲覧数:10回

最新記事

すべて表示
bottom of page