top of page
ヨハネによる福音書2:1-11
この葡萄酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが・・・

花材/柳・百合・モンステラ   
花材/柳・百合・モンステラ   

 今も昔も、結婚式は喜びの時です。しかし、結婚式ほどアクシデントが起こる場面もそう多くありません。


 カナと呼ばれる田舎の村での結婚式が、今回の物語の場面です。用意していたぶどう酒が飲み終わってしまうという、大変なトラブルが起きました!イエス様の母マリアは、息子に問題の解決を頼みます。しかし、他者を自分の都合で動かすことは出来ません。誰が主権を持っているのでしょうか。人に主権があるのか、神に主権があるのか、とても大切なポイントです。


 私たちが神に主権を委ねるということは、私たちが神に従うというチャレンジを受け取ることでもあります。イエス様からの命令は、水がめの水を満タンにするという、問題の解決には繋がらないようなことでした。身体的にも、精神的にも、一歩を踏み出すチャレンジが必要でした。召使いがイエス様の言葉に聞き従う中、イエス様は奇跡をおこなったのです。水がぶどう酒に変わりました。

 主は「良い」お方です。新郎新婦が恥をかかずに済むように、傷つかなくてよいように、愛と憐みにより、水をぶどう酒とされたのです。そのぶどう酒は「良い」ぶどう酒です。 

イエス様は、人という不完全な存在を用いて、飲みきれないほどのぶどう酒を用意されました。結婚式は、イエス様の愛によって注がれた、ぶどう酒の喜びで満たされたのです。


コリントの信徒への手紙Ⅰ 11:17-34
パンを取り感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これはあなたがたになめ私の体である。
食事の後で、杯も同じようにして「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。  

花材/オリズルラン
花材/オリズルラン

 教会が大事にしている働きとして、福音の知らせ・交わり・奉仕があります。三つの大切な目的と言っても過言ではありません。当時、コリントの教会では、仲間割れが起きていました。交わりが崩されていたのです。教会での食事のときのこと。お金持ちのグループは、満ち足りるほどに食べたり飲んだりしていました。しかし、貧しい人たちは、一日の仕事が全て終わってからでないと教会に集うことができず、空腹のままでした。

 問題が起きた時、目的を見失った時、原点に立ち帰る必要があります。

イエス様は何を教えていたのか。イエス様はご自身の体だと語りつつパンを裂き、人々に分け与えられました。そのパンにより、生きるために必要な栄養を受け、神様との和解を受け取ります。

 そのぶどうの杯は、イエス様の血を表します。その血により神さまと新しい約束が結ばれました。キリストを信じる人は、イエス様の死を思います。そして、イエス様が伝えられたように、パンを食べ・ぶどうの杯を飲む、主の晩餐式を行います。主の晩餐式自体が、イエス様の人生を、彼の死を宣べ伝える出来事です。

 主の晩餐式により、一つの体を分かち合う教会の交わりと、その中心にいるイエス様との交わり、そして神さまとの交わりを体験します。主の晩餐式により、イエス様が奉仕されて、用意された食卓を味わいます。主はその食卓に全ての人を招いておられるのです。

ヨハネによる福音書 6:1-15
「ここに大麦のパン5つと魚2匹を持っている少年がいます。」 (9節)
 さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えられてから,座ったいる人々に分け与えられた。
魚も同じようにして、欲しいだけ,分け与えられた。 (11節)

花材/ニュウサイラン・ひまわり・アルタイカ
花材/ニュウサイラン・ひまわり・アルタイカ

 「どこでパンを買えばよいだろうか?」と、イエス様は、12弟子の一人であるフィリポに質問しました。イエス様がパン屋を捜している光景は、なんとも親近感の湧く姿です。しかし、その背景には、病院に行くことが出来ない、食事も十分には取ることが出来ない、5000家族(1万人~2万人)の人々がイエス様の目の前にいたのです。「人々に食卓を用意したい」このイエス様の願いが、冒頭の言葉となったのです。


 これは無理な願いです。お金の問題もありますし、もしパン屋さんが近くにあっても準備しきれないような大量の注文になります。フィリポは正しい答えを言いました。「200万円あってもパンは足りないでしょう。」そのような状況の中、名前も無い『少年』が、5つのパンと2匹の魚をイエス様に献げました。これだけでは、5000家族のお腹を満たすには足りないでしょう。弟子のアンデレも「何の役にも立たない」と評価をしました。しかし!!イエス・キリストは、無視され小さくされた少年のわずかな献げ物に目を留めたのでした。そして何倍・何十倍・何百倍にも祝福し、豊かに用いました。


 私たちは誰かに何かを献げる時、痛みを覚えます。現状が足りなければ渡せないのが普通です。しかし、主が用いる時、不足していた皆が満たされ、更に12籠いっぱいのパンの欠片を受け取るのです。私たちは受け取った恵みをどのように用いてまいりましょうか。

江波キリスト教会 〒730-0834 広島県広島市中区江波二本松1丁目10−26 TEL:(082)231-4561

©2021 by 江波キリスト教会。Wix.com で作成されました。

bottom of page