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『彼の「死」を思いつつ』
- 杉本拓哉牧師
- 2020年7月19日
- 読了時間: 2分
更新日:2024年11月24日
コリントの信徒への手紙Ⅰ 11:17-34
パンを取り感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これはあなたがたになめ私の体である。
食事の後で、杯も同じようにして「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。

教会が大事にしている働きとして、福音の知らせ・交わり・奉仕があります。三つの大切な目的と言っても過言ではありません。当時、コリントの教会では、仲間割れが起きていました。交わりが崩されていたのです。教会での食事のときのこと。お金持ちのグループは、満ち足りるほどに食べたり飲んだりしていました。しかし、貧しい人たちは、一日の仕事が全て終わってからでないと教会に集うことができず、空腹のままでした。
問題が起きた時、目的を見失った時、原点に立ち帰る必要があります。
イエス様は何を教えていたのか。イエス様はご自身の体だと語りつつパンを裂き、人々に分け与えられました。そのパンにより、生きるために必要な栄養を受け、神様との和解を受け取ります。
そのぶどうの杯は、イエス様の血を表します。その血により神さまと新しい約束が結ばれました。キリストを信じる人は、イエス様の死を思います。そして、イエス様が伝えられたように、パンを食べ・ぶどうの杯を飲む、主の晩餐式を行います。主の晩餐式自体が、イエス様の人生を、彼の死を宣べ伝える出来事です。
主の晩餐式により、一つの体を分かち合う教会の交わりと、その中心にいるイエス様との交わり、そして神さまとの交わりを体験します。主の晩餐式により、イエス様が奉仕されて、用意された食卓を味わいます。主はその食卓に全ての人を招いておられるのです。