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信じて祈る
更新日:11月20日
マタイによる福音書 21章18-22節
信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。
『信じる』や『祈る』という言葉を、教会ではよく耳にします。主語を付け加えるならば、私が信じ、私が祈るとなるでしょう。その上で重要なのは目的語。一体、私は誰を信じているのかが問われます。私達が人にお願いをする時に、「その人ならば叶えてくれることを信じて」頼むのではないでしょうか。信頼の根拠が自分の側にあるならば、状況次第で揺れ動いてしまうでしょう(例.お金・人脈・外見・権力・体力)。クリスチャンはイエス・キリストを根拠とします。イエス様ならば、私の願いを叶えることができる。私にはできなくても、神様ならばできる。神様の思いに一致するならば叶う。だからこそ自分の願いを明らかにし、その願いが神様の思いと一致することを求め、御心が成るように、イエス様の名前で祈り委ねるのです。信じる根拠も、祈る根拠も、私達の側にはなく、イエス様にあります。だからこそ、私達の状況に関わらず、イエス様を信じ祈ることが赦されている。
イエス様を求める時、私達はイエス様と結ばれます。イエス様に結ばれる時、私達は豊かに実を結びます。大胆に祈り求めましょう。イエス様ご自身が、私達の実を楽しみに信じて祈ってくださっているのですから。
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