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幕屋とキリスト
更新日:11月25日
ヘブライ人への手紙9:1-20
キリストは、既に実現している恵みの大祭司としてお出でになったのですから、
人間の手で造られたのではない。
聖書には『贖い(あがない)』という言葉が出てきます。あまり聞いたことのない単語かもしれません。この贖いという言葉は、原語から調べると三つの意味をもっていることが分かります。
一つ目は、罪を覆うこと…傷口を絆創膏で覆い、罪に対して応急処置をするイメージです。二つ目は、身代金の支払い…誘拐された人を取り戻すこと。三つ目は、家族としての振る舞い…家族が借金をして、土地が差し押さえられたり、奴隷となったりしたならば、それらを買い戻す行為を意味します。
十戒の石板が納められた契約の箱。箱の蓋は、『贖いの蓋・恵みの座』と名付けられていました。エルサレムの民の中で、一人しかいない大祭司が、一年に一度の『大贖罪日』に、雄牛と山羊の血を贖いの蓋に振りかけます。「生き物の命は血の中にある…血はその中の命によって贖いをする」(レビ記)それが罪の贖いのための儀式だからです。
この文脈の中で、イエス・キリストが分かち合われます。ただ一度十字架で流された血によって、私たちは罪から清められ、罪の奴隷から買い戻された。イエス・キリストこそが、神と人とを繋ぐ大祭司であると、聖書は語ります。イエス・キリストは今日も、あなたのために私のために血を流されているのです。イエス・キリストのいのちに与り、生かされてまいりましょう。