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執筆者の写真杉本拓哉牧師

呪いは祝福に 災いから幸いへ

更新日:11月20日

ゼカリヤ8:1-23

娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。

見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者

高ぶることなく、ろばに乗ってくる。     

見よ、あなたの王が来る。雌ろばの子であるろばに乗って。9節


花材/庭に咲いた皇帝ダリア
花材/庭に咲いた皇帝ダリア

 果たして苦しみの意味とは何なのだろうか。古今東西、多くの人々がこの問に向き合ってきた。今日の聖書の箇所は、衝撃的な言葉で答えている。それは、「神が災いをくだす決意をした」との言葉だ。続く質問は「では、なぜ神は災いをくだすのだろうか」という疑問だ。その理由として「神は、激しく熱烈に愛情を注がれる方」であると、神の性質が語られている。愛していないならば、または無関心でいるならば、相手の言動や行動に対して、怒らなくて済むかもしれない。しかし、愛する民が神様を裏切るならば、神は怒りを発せられるのである。


 神の怒りは災いとして現れることがある。しかし、災いで終わるものではない。神様との関係性は、一方的な神の恵みによって回復される。それは「神があなたに幸いをもたらす決意をした」からである。聖書は私たちに語り掛ける。神様があなたに対して真実であるように、あなたも隣人に対して真実でありなさい。神様の正義が愛に満ちているように、あなたの正義も愛で満たしなさい。神様によって平和の種が蒔かれたのだから、あなたも平和をもたらす裁きをしなさいと、招いている。自分の真実・自分の正義・自分だけの平和は争いを生む。神の愛により、神と人、人と人、人と自然との関係性は、繋ぎ合わされるのである。

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