top of page
執筆者の写真杉本拓哉牧師

バプテスマとバプテスト

更新日:2024年11月20日

マタイ3章13-17節
「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が。天から聞こえた。

花材/ローズマリー・新種百合・千両
花材/ローズマリー・新種百合・千両

 キリスト教が大切にしている礼典(儀式)に『バプテスマ』があります。

 バプテスマとは元々、浸す・洗う、という意味の言葉です。バプテスマのヨハネは「悔い改めなさい」と人々に呼び掛け、罪を告白する人々にバプテスマを授けました。ヨルダン川で人々に対して、『一度水に沈めた後、水から起き上がらせ』=バプテスマを授けたのです。バプテスマの儀式を通して、罪人としての命は死に、罪が洗われて、新しい命に生かされることを表現しました。


 イエス・キリストもまた、ヨハネからバプテスマを授かります。しかしこの出来事は、大きな問いを生みました。果たして、イエスには罪があったのでしょうか。悔い改めることがあったのでしょうか。…イエスは誕生後すぐに、イスラエルからエジプトに逃避します。そして再びエジプトからイスラエルに戻ってきます。イスラエル民族の歴史を、まるで辿っていくかのように歩まれました。人々の歴史を、私の歴史だと受け止められた。

 人々の罪を、私の罪だと告白された。人々と共に、神様のもとに悔い改めた。イエスのバプテスマは、罪人に連帯して生きるという決心です。そして私たちのバプテスマは、イエスに連帯して生きるという決心です。

閲覧数:3回

最新記事

すべて表示
bottom of page