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執筆者の写真杉本拓哉牧師

散らされた羊たち

更新日:2024年11月20日

マタイによる福音書 26章47-56節
まるで強盗にでも向かうように、剣や棒をもって捉えに来たのか。

花材/黄梅・アルストロメリア
花材/黄梅・アルストロメリア

 私たちは多くの場合、『敵』か『味方』という尺度で判断しているのではないでしょうか。そして『敵』に対して、力(経済力・権力・武力)によって支配する場面を見ることがあります。2000年前も同じでした。

 イエスの人気に、宗教指導者たちは嫉妬し、ついに不当な手段で逮捕に踏み切ります。大量の人員と武器を用意して、イエスと弟子たちを追い詰めました。イエスの悲しみはどれほどだったことでしょう。弟子の一人であるユダが、宗教指導者たちの側に立ち、イエスを引き渡そうとしていました。しかし、イエスはユダに対して「友よ」と語り掛けます。危機的状況に陥っている他の弟子たちは、裏切り者に対して怒りを覚えたことでしょう。そしてユダを「友」と呼ばれるイエスに対しても躓きました。それでもイエスを守ろうと、弟子は剣を振るって大祭司の手下に攻撃します。しかし、イエスは弟子に剣を下ろすように命じられ、自ら捕らえられてしまう。

 弟子たちはどうしようもなく、イエスを見捨てて逃げ出します。イエスは自ら捕まることによって、弟子たちの命を、宗教指導者たちの命を、保たれたのです。『敵』や『味方』を越えて『友』となる、イエスの愛がここにあります。

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