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人肌のぬくもり
更新日:2024年11月24日
マルコによる福音書 1章40-45節
さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。
昔も今も、皮膚の病気で苦しんでいる人がいます。その中でもハンセン病は、社会から疎外され、本名を名乗ることも許されず、子供ができないような手術を無理矢理させられ、虐げられてきた歴史があります。差別や偏見の色眼鏡は、学びと出会いを通して外していくことが求められます。
イエスのもとに、一人の皮膚病患者がやってきます。当時ツァラアトと呼ばれる特別な病は、宗教的に「汚れている」と見なされていました。更に、罹患者は共同体から排除されてしまいました。まるで死んだものとして扱われ、宗教的にも社会的にも、痛みを負っていました。この人はイエスに対して「お望みならば、私を清くすることがおできになります」と主導権を委ねつつ、願い求めました。イエスは律法に違反してまでも、直接この人に手を触れて「私は望む。清くなれ」と宣言します。何年ぶり、何十年ぶりの他者との触れ合い。イエスの温かい手がこの人を包み込みました。すると汚れはイエスを侵さずに、イエスの清さがこの人の汚れを飲み込んだのです。社会的にも宗教的にも死んでいたこの人に、イエスの命が注がれて、再び共同体へと送り出されていきました。
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