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執筆者の写真杉本拓哉牧師

十字架を見上げて

更新日:11月25日

マルコによる福音書 15章21-39節
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」

花材/アメリカンハナズオウ・フリージア・麦・チューリップ
花材/アメリカンハナズオウ・フリージア・麦・チューリップ

 十字架はキリスト教のシンボルマークですが、一般的なアクセサリーのモチーフにもなっています。しかし考えてみると、十字架はギロチンや電気椅子と同じく死刑道具の一つです。この処刑は見せしめのために裸で晒され、身体的、精神的、宗教的な苦痛を長い時間与え続ける残酷な刑罰です。

 イエスは十字架につけられました。当時イスラエルを支配していたローマ総督は、罪を見出せなかったにも関わらず保身のためにイエスを見捨てました。弟子たちも、兵士たちも、祭司長たちも、自己中心的にイエスを見捨てました。人間の本質がイエスを十字架につけたのです。人間の罪深さが十字架に現れています。イエスは神様すらも自分を見捨てたと思えるような十字架にいます。全てから見捨てられる悲しみを受け取られ、全ての被害者と共に十字架につけられました。もう一方で、十字架につけられるのは罪を犯した人物です。イエスは全ての罪を引き受けられ、加害者として十字架につけられました。被害者であり加害者であるイエスは、全ての人に連帯して、十字架で両者を繋いでいます。神と人とを繋いでいます。このイエス・キリストと十字架で出会う時、救いが迫ってくるのです。


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