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神様の愚かさ
更新日:11月24日
コリントの信徒への手紙一 1章18-31節
十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。
「正直者が馬鹿を見る」ということわざがあります。意味は、悪賢く立ち回ることで利益を得る人がいて、正直に生きることで損をする人がいる。正しく生きることがままならない世の中を批判する言葉です。人を助けても自分が犠牲になるならば意味がない、と思うのは一般的な感性でしょう。
聖書は、神の愚かさは人よりも賢いと語ります。イエス・キリストは普通の人々の「自分さえ良ければそれでいい」という自己中心的な罪により十字架で処刑されました。人の策略が成功し、イエスの敗北としか思えない十字架の死。そこには神の思いが込められていました。それは、自分の命をかけてでもあなたや私を救いたいと、願われたのです。人々の罪を自らの罪として受け取り、加害者と連帯された十字架。理不尽な出来事に苦しみながら、被害者と連帯された十字架。イエスは十字架上で両手を広げます。イエスの愛と犠牲を、人間が完全に理解することはできません。だからこそ、「信じる」という一歩が人に委ねられているのです。人はどれだけ努力しても、自分の力で自らを救うことはできません。だからこそイエスは地上に来られ、人々を救いへと招くために手を差し伸べられているのです。
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