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福音に共にあずかる
更新日:2024年11月24日
コリントの信徒への手紙一 9章1-23節
福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。
子どもが暴力をふるってしまった時など、他者の気持ちを考えられるように「自分がされたらどう思う?」と語りかけることがあります。その時、「お母さんが他の人から叩かれたらどう思う?」と、その子にとって大切な存在に置き換えることで、イメージしやすくなるのだそうです。私たちも無関心に陥っていないか問われることがあります。軍事政権が支配しているミャンマー、ロシアによるウクライナ侵攻、原発事故が収束せず家に帰れない福島、ニュースにならなくても痛みを覚えている人は沢山います。大切な人が当事者でなければ、その痛みに無関心なままで良いのでしょうか。
パウロは一人ひとりに寄り添います。その人のように生き、弱さをも含めて隣人になりました。パウロの行動原理は、イエス・キリストの福音にあります。福音は、自分だけで完結するものではなく、隣人と共にあずかるものです。神の子であるイエスが、すべての人を得るために、人の子となられました。主は全てのいのちの生と死に伴い、全ての痛みに当事者として連帯し、今も生きて働かれています。その主が一人ひとりの歩みに寄り添い、隣人と共に生きるようにと招いておられるのです。
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