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同じ釜の飯を食う
更新日:11月24日
コリントの信徒への手紙一 11章17-34節
わたしの記念としてこのように行いなさい
寮生活でもキャンプでも、一緒にご飯を食べる中で仲良くなることがあります。共同生活では、良い所だけを見せられるはずはなく、弱みをさらけ出すこともあるでしょう。それらも含めて出会うからこそ、人は共に生きるものとなるのです。完璧な人など居ません。長所を活かし、欠けた所を助け合い、共同体となっていくのです。
私たちの教会では月に一度「主の晩さん」をおこないます。これは信仰告白した人が、パンとブドウの杯を飲む礼拝の儀式です。起源はイエスとの最後の夕食、過越祭の食卓にあります。イエスはご自身の体としてパンを分け合い、ご自身の血の契約としてブドウの杯を配ります。それは神様との和解であり贖いの約束となりました。
コリント教会における食卓では、お金持ちは満腹し、貧しい人は空腹のままでした。隣人が軽んじられたままでは、主の晩さんにならないのです。主が、自らを献げてまでも霊の糧・肉の糧を分かち合ってくださることは、私たちの希望であり喜びです。だからこそ私たちも、分かち合う中で生かされていく。主は今日も、共に生きるようにと招いてくださっているのです。
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