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イエス・キリストをいただく
更新日:11月20日
ヨハネによる福音書 6 章 41-59 節
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。」
「いただきます」と、私たちは食事の前に感謝をささげます。生き物の命をいただいて、生きる糧にしているからです。食べる物によって体は作られ、出会いによって心は育まれていきます。私たちは愛を糧にすることもあれば、憎しみを糧にすることもできます。私たちの心と体は、何を摂取して生きているでしょうか。
キリスト教会が大切にしている儀式に、「主の晩さん」があります。パンをイエスの体として、ぶどうの杯をイエスの血として受け取ります。この出来事の中で、イエスの十字架を想起しているのです。私たちに連帯し、私たちの罪を一身に引き受けられた結果が、十字架の裁きでした。イエスの十字架の出来事を通して、私たちの罪は支払われたのです。主の晩さんに与る時、イエスが私たちを罪から救い出し、贖われたことを覚えます。そしてイエスの体と血をいただく時、私たちの内に生きておられるイエスの命と出会うことでしょう。そして同時に、私たちを引き寄せて包み込む、イエスの愛の内に、いきいきと生きる命の道を見出していきます。私たちの内側も外側も、イエスの愛と命で満たされているのです。日々この命に生かされ、命をいただいてまいりましょう。
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