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花の日
更新日:11月13日
マタイによる福音書 6 章 28-29 節
なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
アメリカでは 6 月の第二日曜日を「花の日・子どもの日礼拝」とし、子どもたちが花を持ち寄って教会堂を飾り、礼拝にて子どもたちに祝福を祈り、その後それらの花を持って病院へ慰問したり、警察署等へ日頃の感謝を伝えたりしています。色とりどりの花々は、見目麗しく、漂う香りも優しく、心華やいでいくことでしょう。一つ一つを注目して見れば、同じ種類の花であったとしても色や形は異なり、同じものは一つとしてありません。それは同じ親から生まれた動物であっても、異なる愛らしさを持っていることと共通する所があるでしょう。神様の創造の素晴らしさは、植物を通しても現わされています。
先々月に召天された星野富弘氏は、事故によって首から下の身体機能を失いましたが、口で筆をくわえ数多くの花の絵と詩を描きました。ここで私の好きな三つの詩を紹介します。「いのちが一番大切だと 思っていたころ 生きるのが苦しかった。/いのちよりも大切なものが あると知った日 生きているのが 嬉しかった。」、「痛みを感じるのは生きているから/悩みがあるのは 生きているから/傷つくのは 生きているから/私は今 かなり生きているぞ」、「私にできることは 小さなこと/でも それを感謝してできたら/きっと 大きなことだ」