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切り株から希望の芽

イザヤ書 11章1-10節
エッサイの株からひとつの芽が萌えいで その根からひとつの若枝が育ち その上に主の霊がとどまる。



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 枯れた草花や、切株を見れば、終わりを感じて諦めてしまいがちです。人生においても、努力が実らなかったこと、大切な人とすれ違ってしまったこと、勉強しても身につかなかった科目、諦めて断ち切った過去が思い当たるのではないでしょうか。それでも自然界において、枯れ果てたように見える切り株からも、小さな芽が生えることがあります。私たちの人生においても、終わったと思えるような所から、予期せぬ始まりが待っていることもあるのでしょう。

 イスラエルの国は当時、他国の支配下にあり、強力な軍事力によって滅ぼされる日が近づいていました。祈っても状況は変わらず、行き詰まりの中に彼らは立たされていたのです。頼りにしていたものは断たれ、希望が途切れたかのように見えましたが、神はそこからでも新しい命の芽を起こされるのです。救い主は弱い立場に置かれた人に寄り添い、か細い声に耳を傾け、不当な目に遭って隠されていた痛みにも目を留めます。そしてこの地に正義と公平をもたらします。この希望の知らせは人間関係だけに留まらず、自然界の和解にまで及びます。私たちが気付かなくても、神は確かに働いておられるのです。私たちが絶望している所からも、神の希望が芽吹き、花咲いて実を結びますように。


音声メッセージ

 
 

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