新しいことが始まった
- 播磨聡師
- 4月12日
- 読了時間: 3分
更新日:5 日前
マタイ 28:1-10

イースター、おめでとうございます。主イエスは、復活なされました。
この日、ガリラヤから従ってきた女性たちは、イエスの亡骸に香油を塗るために、墓へ向かって行きました。既に、イエスが殺されたことは、厳然たる事実となっていました。彼女たちは、悲しみと嘆き、不安を抱えながら、今できる精一杯のことをするために墓へ向かったのです。
「死」、それは人間の無力さ、はかなさを感じる瞬間です。死の現実に直面し、人は言葉を失い、すべてが虚しく、諦めなければならないように感じてしまいます。ましてやイエスのように処刑による死は受け入れ難いものです。
しかし、墓に到着した女性たちを驚かせる出来事が起こりました。大きな地震が起こり、天使が天から降ってきて、墓の入り口の大きな石をわきへ転がし、その上に座ったのです。そして、天使は言いました。5 節「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ」。死んだ人が復活した。有り得ないことです。女性たちは急いで弟子たちに報せるため、墓から走っていった時、イエスが行く手に立ち、「おはよう」と声をかけて来たのです。女性たちは喜びと、驚きと、戸惑いとで混乱したことでしょう。
すべての事が無に服してしまう死。その死体が納められた墓。敗北と呪い、嘲りを受けて死なれたイエスさま。嘆きと悲しみの中で墓へと向かっていた女性たちは、その死を打ち破り、すべてをひっくり返す復活の出来事の証人となったのでした。
「イエスは復活なされた」この言葉は、人間の知恵や見識から言うならば、愚かしい話です。しかし、復活とは、人間の知恵や思考に、「ブレイク」、「中断せよ」、「やめよ」と、天からの縦の方向での中断の宣言がなされた出来事ではないでしょうか。十字架と復活は、人間の知恵や力、思考を「ブレイク、断念」する時です。そして、その時、新しいことが始まります。新しい世界が始まります。神の愛に突き動かされる人生が始まるのです。
復活された主はガリラヤに先立ち行かれます。貧しい人、病人、異邦人、遊女、徴税人、罪人たちとイエスさまが出会われた場所に、復活された主イエスは、弟子たちに先立って行かれているのです。ガリラヤで主イエスと出会える。きっと私たちにも、同じように語られていると思います。私たちが、それぞれにとってのガリラヤへ行く時、復活の主イエスさまと出会えるということを。
不安と恐れを打ち破る希望の朝、新しいことが始まる朝、イースターの朝、復活の朝を、今日、迎えました。不安や恐れを神の手に委ね、十字架と復活に示された神の愛に突き動かされる人生を歩んでまいりましょう。
音声メッセージ


