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主の霊が注がれて
- 播磨聡師
- 5月24日
- 読了時間: 2分
更新日:5月25日
使徒言行録2章22‐24節

ペンテコステで弟子たち一人一人の上に、降りた聖霊は、悪霊でも幽霊でもなく、神の霊であり、十字架にかかってまで罪人を愛し抜かれたイエス様の霊そのものです。聖霊を受けた弟子たちは、大胆に「イエスこそ救い主、主である」と延べ伝えるものへと変えられていきました。
ペンテコステの出来事において、私たちが何よりも目を留めなければならないことは、「動作の主体、主語が『神』である」ということです。十字架、復活、召天、そして聖霊の降誕に至るまで、すべて神の一方的な主権によってのみ実現されるのです。
神の主権の中で、裏切り者の弟子たちに聖霊を注がれました。神は、敢えて、自分の罪を見つめなければならない者を選んでいきます。ペトロは、裏切り者の自分をさえ、イエス様は執り成して祈ってくださり、赦し、聖霊を注いでくださることがどれほど圧倒的な恵みであるかを知っていたのです。
私たちが生涯立ち続けるべき原点、それは「私は罪人であるが、イエス様の一方的な愛と憐れみによって赦され、生かされている」という事実にこそあります。自分の正しさや優位性を誇ることを辞め、ただキリストの十字架の赦しにすがるとき、私たちは初めて他者を本当に愛し、赦し、力づける者へと変えられていきます。
広島教会 播磨聡牧師
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