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仕える者になりなさい
- 播磨聡師
- 6月21日
- 読了時間: 1分
マタイによる福音書23章1ー12節

今日の聖書は、十字架への歩みに近づく緊迫した状況の中でのイエス様の言葉です。イエス様は「モーセの座に座っている律法学者やファリサイ人の言うことは行い、守りなさい」と言われます。職務の権威そのものは否定していません。問題にしているのは、その座をただ自分を誇るため、承認欲求を満たすために利用している「人間のあり方」なのです。
ファリサイ派は細かい規則の束を人々の方に「フォルティオン(重荷)」として載せました。この言葉は、マタイ一一章三〇節で「私の鞭は負いやすく、私の荷は軽いからである」と、全く同じ言葉でありながら、全く違う約束として用いられています。ファリサイ派が他者の方に押し付けた荷と、キリストが「ともに担おう」と差し出して下さる荷、この違いの中にイエスの福音の核心があります。
仕えることは、義務ではなく、自由の表れです。評価されるからでも、義務だからでもなく、キリストが先に仕えてくださり、十字架で罪を赦してくださったという一方的な恵みへの応答として、互いに仕えるのです。すでに赦されている。だから、背伸びして自分を大きく見せなくていい。奉仕の形は様々あっていい。どのような小さな働きも、主にあってかけがえのないものです。
広島教会 播磨聡牧師


