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裏切ることを知りながら

更新日:7月6日

マタイによる福音書26章17‐25

花材/フヨウ・ヒオウギ
花材/フヨウ・ヒオウギ

 過越の食事の最中にイエスは語られます。「はっきり言っておくが、あなた方のうちの一人が私を裏切ろうとしている。」この言葉に、弟子たちは非常に心を痛め、「主よ、まさか私のことでは」と代わる代わる言い始めました。実際、イエスが捕らえられた時、弟子たちは全員逃げ去ります。誰が裏切ってもおかしくない、そのような不穏な空気の中で、イエス様は恐怖や混乱でなく、聖書に示された神の御心として、ご自身の死を受け止めておられるのです。そして、ご自分を裏切ろうとしているユダをも食卓から追い出さず、共に座らせておられたのです。


 その直後、イエス様はパンをとり、「とって食べなさい。これはわたしの体である」と語られ、パンが割かれていきました。そのパンを受け取った中には、ユダも、のちにイエス様を否認するペトロも、恐れて逃げる弟子たちもいました。イエス様はそれを知りながら、パンを割き、杯を渡されます。


 ここに福音があります。私だったら、誰かが裏切ろうとしていることを知ったなら距離を置き、関係を断ちます。しかしイエスはそうされませんでした。相手が裏切る者であっても愛し抜く。これが、イエス様の愛の本質なのです。イスカリオテのユダでさえ、パンを受け取ったのです。赦されない罪はない。この食卓から排除される者はいないのです。


広島教会 播磨聡牧師


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