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目を覚ましなさい
- 播磨聡師
- 7月12日
- 読了時間: 1分
マタイによる福音書24章36-44節

人間というのは、いつでも「知っていたい」のです。将来の危機を予知し、それに対応できるように準備することで安心を手にしたいのです。しかしイエス様は、静かに、しかし明確に言われます。「その日、その時は、ただ父だけがご存じである」と。これは「あなたの明日は、あなたの手の中ではなく、神の御手の中にある」という宣言です。神のなされることを自分の手に収め、自分の力で明日を保証しようとする傲慢さを、イエス様はこの一言で打ち砕いて行かれたのです。
イエス様は、終わりの日はノアの時代のように訪れると言われました。人々は食べ、飲み、結婚し、働くという、ごく普通の日常を送っていました。そのような何気ない日々の中に終わりの日が来るのです。
「目を覚ましていなさい」とは、特別な努力をなし、緊張し続けることではありません。今日ここにいるほかの人の痛みに目を向け、できることをする。その小さな日々の積み重ねを、神はご覧になられるのです。終わりの日がいつこようとも、今日私に与えられたこの場所で、やるべきことをやるだけです。それが目を覚ましていることだと思います。私たちは、主の憐れみを受けたものとして、痛みを抱えている隣人とその痛みを分かち合ってきましょう。
広島教会 播磨聡牧師


