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重荷を負う
- 特別礼拝
- 6 日前
- 読了時間: 2分
更新日:4 日前
マタイによる福音書11:28-30

徳川家康の遺訓とされる「人の一生は重荷を負て遠き道を行くがごとし」という言葉には、長年の苦難を経て天下を納めた人物の深い説得力があります。聖書の中で、この言葉を思わせるのはモーセです。八〇歳で神から命を受け、イスラエルの民をエジプトから導きました。しかし民は荒野で何度も不平を言い、モーセに反抗しました。彼は四〇年間民を導き続け、ついには「自分一人では負えない、殺してほしい」とまで訴えます。聖書はモーセを「地上のだれにもまさって柔和な人」と評します。
新約聖書には「重荷」を意味する言葉がいくつかあります。第一は、自分が担うべき使命や責任を表す「フォルティオン」です。神は各自に適した重荷と、それを担う力を与えてくださいます。第二に、一人では負いきれない「バロス」です。誰かに助けてもらい、一緒に追ってもらう必要のある重荷です。そして第三は、罪や悪い習慣など捨て去るべき「オンコス」です。
今感じている重荷がどれに該当するとしても、一人でくよくよと悩み続ける必要はありません。イエス・キリストは「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ一一:二八)と招いておられます。自分の力では負いきれない重荷や罪の重荷も、イエスのもとへ持っていく時、イエスが共に負い、最もふさわしい解決と安らぎへと導いてくださいます。
広島教会協力牧師 高橋秀二郎牧師
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