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なぜ選ばれたのか
- 杉本拓哉牧師
- 6月15日
- 読了時間: 2分
ローマの信徒への手紙9章14-29節
従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。

私たちは日々、何かを選択して生きています。どの服を着るのか、何を食べるか、誰と一緒に過ごすか。時には人々から選ばれることもあるかもしれません。受験や就職では試験によって選び出されます。通過した先にも困難はありますが、期待されている証拠でもあるでしょう。
神様もまた人を選ばれます。当事者にとって不公平とも思えるような選びかもしれません。しかし私たちの思いを超えた、憐み深い神の計画があるのです。旧約聖書には、神がイスラエルの民を選ばれた歴史が記されています。イスラエルの民は、力強く知恵に満ちて信仰的に立派だったから選ばれたのではありませんでした。むしろ他の民族よりも貧弱だったにも関わらず、一方的な神の愛によって選ばれたのです。弱さを知るからこそ主を頼り、神の栄光が現される器として用いられていくのでしょう。
教会もまた、神の愛にふさわしい者だから選ばれるのではありません。救いは、自分自身の努力や功績によって与えられるものではないのです。ただただ主の愛と憐みによって、救いにあずからせていただきます。そしてこの恵みを自分だけのものとするのではなく、世界中の人々と分かち合うようにと、使命が託されているのです。
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