top of page
ローマの信徒への手紙12章9-21節
喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。


ヤブカンゾウ・クサキョウチクトウ・アラゲハンゴンソウ
ヤブカンゾウ・クサキョウチクトウ・アラゲハンゴンソウ

 友人の成功を素直に喜べなかったこと、悲しんでいる人にどんな言葉をかけたらよいか分からなかったことはありませんか。逆に、自分が悲しい時に「私も分かるよ」と言われても、「あなたに何が分かるの」と反発してしまうこともあるかもしれません。念願の賞を獲得しても、嫉妬を恐れて誰にも言えないこともあるでしょう。他者の気持ちに寄り添うことも、自分の心を正直に打ち明けることも、私たちには難しいものです。それでも誰かの心に目を向け、たとえ何もできなくても寄り添おうとする中で、喜びが増し加えられ、悲しみが和らげられることもあるのです。

 共に生きるというチャレンジを、自分の力だけでやり抜こうとしても、どこかで限界が訪れます。燃え尽きてしまったり、心がからっぽになってしまったりするのです。だからこそ、私たちは主に祈り求め、聖霊なる神の油注ぎによって新しく燃やされていきましょう。主の御名の一つ「インマヌエル」とは「神は我々と共におられる」という意味です。主は、私たちの喜びも悲しみも、流した全ての涙も共に担い、歩んでくださいます。この主の愛に生かされて、今日もまた、隣人と共に歩む一歩へと踏み出してまいりましょう。


音声メッセージ



ローマの信徒への手紙12章1-8節
自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。


かんぞうの花・コスモス・小エビ草・鳴子百合
かんぞうの花・コスモス・小エビ草・鳴子百合

 神社ではお賽銭、お寺ではお布施や寄付があるように、教会では献金があります。献金は、神からの恵みに応答して生きることを表しています。今与えられている場所や身体、日常の歩みは、当たり前ではないと受け止めているからです。大切なのは、どれだけではなく、どのような思いでささげるかということではないでしょうか。

 更に聖書は、お金だけでなく体そのものを神にささげる生き方へと招いています。環境や能力、性格や時間もまた、神からの贈り物だからです。一人ひとりに与えられている賜物は異なります。だからこそ私たちは、強みと弱みを補い合い、支え合って生きるようにと集められているのです。

 イエスは御自身の豊かさを、パンを分かち合うように、一人ひとりに注いでくださいました。主を見習って、物事の本質を見つめる人がいます。主のように優しく語りかける声もあるでしょう。そして主の手は、貧しい人や痛んでいる人へと差し伸べられました。主は全ての人の居場所となるために、憐れみ寄り添い、共に歩んでくださったのです。私たちは欠けだらけの存在です。その欠片が組み合わされて一つとなる時、生けるキリストがこの世界に現され、主への礼拝がささげられていくのでしょう。


音声メッセージ


ローマの信徒への手紙11章17-36節
神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、すべての人を憐れむためだったのです。


ヤツシロソウ ヒオウギ 水仙 トリトマ ほたるぶくろ ぶどう 等々
ヤツシロソウ ヒオウギ 水仙 トリトマ ほたるぶくろ ぶどう 等々

 一つの出会いが、自分の人生を大きく変えることがあります。友人や恩師、本や音楽や映画等との出会いを通して、考え方や生き方が広がり深まることもあるでしょう。新たな繋がりは、心を潤し、命を育みます。しかし大切であればあるほどに、時にわずかな違いに痛みを覚え、距離を置くこともあるかもしれません。それでも喜びだけでなく悲しみさえも、心身を育む糧となるのです。

 聖書は、神と人との関係を「接ぎ木」にたとえます。接ぎ木とは、異なる木を傷つけて結び合わせ、そこから命を通わせる農夫の知恵です。イエス・キリストは、私たちを神の命に繋ぐために、十字架の傷を受けられました。イエスの傷を通して命は注がれ、私たちは御霊の実を結ぶ者へと変えられるのです。

 人生の中で味わう痛みや悲しみも、失敗や罪さえも、イエスの傷に接ぎ合わされる中で、新しい意味を見出していくようになるでしょう。痛みを知った上での優しさがあり、傷がなければ気付けなかった隣人との出会いがあるのです。そして、新たな出会いを通して、今度はあなたを通して、主の命は分かち合われていきます。イエスは今日も、あなたの傷に寄り添い、共に生きようと、手を差し伸べています。誰もが、この命の繋がりに招かれているのです。


音声メッセージ


江波キリスト教会 〒730-0834 広島県広島市中区江波二本松1丁目10−26 TEL:(082)231-4561

©2021 by 江波キリスト教会。Wix.com で作成されました。

bottom of page