使徒言行録2:1~13
一同は聖霊に満たされ,霊が語らせるままに,他の国々の言葉で話しだした。

『ペンテコステは教会の誕生日』と、聞いたことはありますか?「聖霊が降ったから、教会の誕生なのだ」と、言えるのですが、私にはピンときませんでした。
ちなみに、ペンテコステとは、過越祭から50日目に行われる、小麦の収穫祭だったそうです。
イエス様は弟子たちに「聖霊によるバプテスマを待ちなさい」と命じていました。
しかし、その日がいつ来るのか、弟子たちは知りません。
突然、その日はやってきます。弟子たちは聖霊によって満たされました。人には表現しきれないほどの神様の出来事、奇跡としか言えないような出来事の中で、弟子たちは精一杯の言葉で語らずにはいられなかった。あまりにも大きな音だったため、家の外にまで広がる出来事となった。家の外にいる人々にも届く言葉で、神様の素晴らしい御業が語られたのです。
人々を集めるのも、弟子たちを用いて礼拝するのも、聖霊なる神様の働きです。
そして『教会』という神様を証する群れが生まれ、言葉を聞いた周りの人々も神様に礼拝をささげるようになった。ペンテコステの出来事が、時を超え、場所を超え、この江波の地まで広がってきたのです。この神様の働きに、諸先輩方は仕えました。江波の地で神様を賛美し、礼拝してきました。そのバトンが今、わたしたちに託されているのです。
- 杉本拓哉牧師

- 2020年5月24日
- 読了時間: 2分
ルカ福音書15章25~32節
子よ、お前はいつもわたしと私と一緒にいる。私のものは全部お前のものだ。

みなさん、おかえりなさい。今日は放蕩息子のたとえ【兄】に注目したいと思います。
私たちは「自分こそが正しい」という思いをもって行動することがあります。『自粛警察』と呼ばれている方々も、自らの行動を正しいと思いながら行っているのでしょう。
【兄】は一日の働きを終えて、家に帰ろうとしています。すると、家では弟のためのパーティが開かれていました。しかも、なんと父親は弟に、豪華な服・指輪・靴・さらに良く肥えた子牛までプレゼントしたそうです。【兄】は怒りました。弟に対して正義感で裁きます。そして父に対しても責め立てます。その瞬間【兄】は、自らが『絶対的に正しい存在=神様』となりました。しかし【兄】は弟の苦しみも悲しみ知りません。そして、父の愛の深さを知りませんでした。
二人の息子、性格も違います。歩んできた人生も違います。片方が救われれば、片方は救われないという、悲しい結末なのでしょうか。福音は自分たちの中からは生まれません、向うからやってくるものです。父は【兄】のために家から出て来て、なだめつつ、慰めつつ、宴会に加わるように頼み込むのです。父は今も、弟のためにも【兄】のためにも、いのちを受け取るようにと、愛して招き続けているのです。
- 杉本拓哉牧師

- 2020年5月17日
- 読了時間: 2分
ルカによる福音書15章11~24節
お父さん、私は天に対しても、またお父さんに対してもつみをおかしました。

礼拝の初めに『招きの言葉』があります。神様から招かれ、呼び集めてくださるから、
私たちは礼拝をささげることが出来ます。それは、家庭礼拝においても同じです。そして、それぞれの日々の生活に向かっていく皆を、祝福の祈りと共に派遣します。
集められて、散らされる。散らされて、集められる。「放蕩息子のたとえ」においても、集められるもの、散らされるものが出てきます。
①放蕩息子の弟は、財産が分けられた後、すべてをお金に換え集めます。しかし、そのお金は放蕩によって散らされます。
②弟自身は、遠い国に散らされていきます。しかし、我に返り、罪に気付き、故郷に帰ります。
③弟は「飢えのために死にそうだ」と思っていました。しかし、父は「死んでいたのに生き返った」と語ります。身体は生きていても、家族・周りの人・神様との関係が断ち切られていた状況を「死んでいた」と父は言うのです。弟自身も、金・物・仕事・自由を失い、自らの存在価値を見出せませんでした。家に帰り、父の恵みと憐みにより、弟のいのちが生き返るのです。
今日もまた、父のもとに帰りましょう。ただいまと言わないうちに、走り寄ってきてくださる方が、待っていてくださるのですから。