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ただいま,と言わないうちに
- 杉本拓哉牧師
- 2020年5月17日
- 読了時間: 2分
更新日:2024年11月24日
ルカによる福音書15章11~24節
お父さん、私は天に対しても、またお父さんに対してもつみをおかしました。

礼拝の初めに『招きの言葉』があります。神様から招かれ、呼び集めてくださるから、
私たちは礼拝をささげることが出来ます。それは、家庭礼拝においても同じです。そして、それぞれの日々の生活に向かっていく皆を、祝福の祈りと共に派遣します。
集められて、散らされる。散らされて、集められる。「放蕩息子のたとえ」においても、集められるもの、散らされるものが出てきます。
①放蕩息子の弟は、財産が分けられた後、すべてをお金に換え集めます。しかし、そのお金は放蕩によって散らされます。
②弟自身は、遠い国に散らされていきます。しかし、我に返り、罪に気付き、故郷に帰ります。
③弟は「飢えのために死にそうだ」と思っていました。しかし、父は「死んでいたのに生き返った」と語ります。身体は生きていても、家族・周りの人・神様との関係が断ち切られていた状況を「死んでいた」と父は言うのです。弟自身も、金・物・仕事・自由を失い、自らの存在価値を見出せませんでした。家に帰り、父の恵みと憐みにより、弟のいのちが生き返るのです。
今日もまた、父のもとに帰りましょう。ただいまと言わないうちに、走り寄ってきてくださる方が、待っていてくださるのですから。