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マタイによる福音書11章25-30節
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」

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 年末年始の忙しさを通過して、日常に戻る中で疲労感を抱えている方、進路や新しい挑戦に耐えきれない程の重圧を感じている方もおられるでしょう。身や心を削って、すり減ってしまうような日々を過ごしておられるかもしれません。疲れ果てる程に身体を酷使したり、目標に向かってプレッシャーに耐え忍んだりする私たちがいます。休むことを恐れ、安らぎ方も分からないのかもしれません。そのような人々に、主は優しく語りかけます。「誰でもわたし

の所に来なさい。休ませてあげよう。」

 そして共に同じ軛(くびき)を負うように招くのです。軛という道具は、二頭の動物の首を一つに繋ぎ合わせます。その二頭が一つの仕事に向かう時、今まで以上の力を発揮する事が可能になります。主の招きは、私たちが抱え込んでいる重荷を、一緒に力を合わせて運ぼうと呼びかける声なのです。隣から熟練者のサポートを受けることにより、力の配分や動き方や休み方を学ぶことができます。そして他の誰にも分かってもらえないような心の痛みすら、主は共に背負ってくださいます。だから自分一人で苦しまなくて良いのです。そして、学びは真似ることに繋がります。主の懐にある平和と安らぎを、隣人と共に味わいましょう。


音声メッセージ

マタイによる福音書2章1-12節
星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。

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 現代社会では、極端な程に無駄を削減することを是としているようです。多くの人は支払ったお金や時間によって、どれだけのものを得られるのか、コスパやタイパを追求します。

 クリスマスの場面では、イエスの誕生をお祝いしに学者たちが遠くからやってきます。東の国で占星術を専門としていた彼らは、無駄足になるかもしれない旅に出かけます。イスラエルまで千km以上、片道でも一カ月以上かかる旅程でした。費用も時間も労力も注ぎ込んで、占星術で知った「ユダヤに生まれた平和の王」を礼拝するために向かいます。争いが絶えない時代にあって、今までとは別の道を与える平和の王に出会いに行きました。

 学者たちは星を通して、救い主の存在を信じていたのでしょう。喜びと希望に満たされた彼らの歩みを助けるように、星の光は足元を照らし、ついに一つの家まで導きます。扉の先には、母の懐で安心したイエスがおられました。目の前にいるのは、誰かの助けなしには生きていけない幼子です。それでも、この方こそ平和の王・私の主人であると信じ、ひれ伏して礼拝し、大切なプレゼントを贈りました。平和の王は、私たちのために、神との和解の道を与えるため、天から地上に出会いに来てくださいました。


音声メッセージ

マタイによる福音書1章18-25節
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。


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 二千年前のユダヤ文化において、結婚まで三段階のプロセスがありました。①両家の合意、②当人同士の了承、花嫁料の支払い、婚約の発表、約一年間の備え、③盛大な結婚式を挙げて、夫婦生活が始まります。

 婚約期間中に、マリアは聖霊によって身ごもりました。ヨセフにとっては身に覚えがありません。婚約者が自分以外の理由で、妊娠したというのです。浮気を疑ったり、襲われたのかと心配したり、平静ではいられなかったでしょう。驚き、悲しみ、怒りが湧いてきたに違いありません。

マリアが真実を伝えても、処女降誕を信じられないヨセフは別れを決心します。その夜に天使はヨセフの夢に現れ、彼の恐れや疑いを手放すように勧め、イエス誕生の福音を伝えます。主がヨセフの所に来られなければ、疑いや憎しみを抱え込んだままでした。マリアは困窮し、失意のどん底で命を失っていたかもしれません。彼は自分の正しさが、正しくなかったことを知ったのです。私たちもまた、自分の正義を振りかざすならば、互いに傷つけ合ってしまうでしょう。「主は救い」であるイエスは、悩み苦しむその場所においても、私たちと共に生きてくださいます。神様の正しさは、人の理解を超えて、共に生きる道へと招くのです。


音声メッセージ

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