使徒言行録 18 章 24 節-19 章 10 節
「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです。」人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた。
こだわりを持つこと、突き詰めていくこと、精度を高めていくことは、専門家に必要な能力の一つかもしれません。もちろんずっと集中し続けることは出来ないので、緩急も重要となります。短距離ではなく長距離の道のりを、キリスト者は目標に向かって一歩一歩、歩みを続けます。初めは大まかな方向を見定めて目標に近づき、当初の見積もりとのズレに気付かされた際には軌道修正をします。目標であるイエス・キリストご自身が、今も生きて働いておられるからこそ、目を注いで耳を傾けて、向かうべき方向を更新していく必要があるのです。
イエスは罪人の一人として、洗礼者ヨハネが道を示した悔い改めに賛同し、バプテスマを受けます。そして罪人に連帯し、罪人の代表として、神様の前で多くの罪を背負われた出来事が十字架の死だったのです。さらに死んで終わりではなく、三日目に神様によって起き上がらされ、復活の命に与りました。このイエスに連帯し、一つとなり、罪に死に命に生きることの目に見える形での告白が、イエスの名によるバプテスマです。この道は、一人きりの歩みではありません。隣人と共に、主イエスと共に、一歩ずつ踏みしめていこうではありませんか。
音声メッセージ
使徒言行録 18章1-23節
「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」
バーンアウト(燃え尽き症候群)とは、仕事などを通して力を出し尽くし、燃え尽きたように消耗してしまった状態を表します。そのような時には、心身の休息を取ったり、環境を改善したりすることが対処法の一つとなります。この症状になりやすい環境として、医療や福祉、営業や教職などの対人援助の現場にリスクが高いと言われますが、誰しも起こり得る出来事です。
コリントの町にたどり着いたパウロも、バーンアウトしていたのでしょう。環境を変えて、新たな友人の所に身を寄せました。彼はこの時、弱り果て、恐れが生じ、聖書のみ言葉を語ることもストップしていたのです。そのような時に、神様は幻を通してパウロに語りかけます。「恐れなくて良い。語り続けよ。わたしがあなたと共にいる。この町にはわたしの民が大勢いる。」振り返れば仲間がいました。遠くからも祈りつつ助けてくれている人たちもいました。何より神様が支えてくださっているのです。「あなたは一人じゃない、一緒に立ち上がろう。」と、主は今日も、わたしたち一人一人に呼びかけておられます。元気な時だけでなく、痛みや悲しみや苦しみに倒れ込んでしまう時も、主は共にいてくださるのです。
音声メッセージ
使徒言行録 17章16-34節
神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。
アテネの歴史は古く、芸術・学問・哲学の中心地だった時代があります。パウロが訪れた頃は全盛期を過ぎていましたが、魅力的な彫刻・知見に富んだ文章・哲学者たちも健在でした。エピクロス派の哲学は、精神的な幸福を追い求め、欲望や苦痛や恐れなく過ごすことこそが人生の目的だと考えていました。ストア派の哲学は、自分の快楽や欲求を優先するのではなく、理性が与える正しさに従って、日常生活で徳を積むことを重視しました。どちらの派閥にも共感できる所があるでしょう。
パウロはアテネの人々にメッセージをします。相手の主張とキリスト教の共通点を示しつつ、架け橋となって神を伝えていきます。しかし経験則や人生観では想像もできない、救い主による贖いの死と復活の命について語った時、聴衆は笑い飛ばしながら去っていきました。「復活」という理性では考えられないことを語らなければ、多くの人々に受け入れられたかもしれません。しかし、これこそキリスト者にとって譲れない点です。復活は、自分を信じるのか、それとも神を信じるのか、私たちに選択を迫ります。それでも主は復活なされ、今も生きておられるからこそ、一人一人と出会い確証を与えてくださるのです。
音声メッセージ